2005年8月30日火曜日

くもかぴ館での悲しい事故

8月29日午後カピバラのオスがクモザルのオス(愛称シャボ)と水中で闘争となり,
シャボを助けようとプールに入ったクモザルのメスが
放飼場の外に出る(目撃していた来園者の話)という事故が起こりました。
駆けつけた職員によりシャボは救出されましたが
腹壁が破られ腸管が一部体外に脱出するなどの重傷を負い,
懸命の治療を行いましたが,死亡しました。
カピバラのオス,クモザルのメスには治療が必要なほどの怪我はありませんでした。

カピバラなどの齧歯類やウサギの仲間はとても鋭い前歯(門歯)を持っています。
草食動物ですから獲物を襲い仕留めるために噛みつくことはないのですが,
身の危険を感じたり,不快な感覚を抱き相手を排除したい時,
同種間での闘争時など噛みつくことがあります。
カピバラは世界最大のネズミの仲間ですから私たちの骨でもかみ砕くほどの力を秘めています。

くもざる・かぴばら館ですが,クモザルの聖域が人工的な樹上空間,
カピバラの聖域が水中,接点として地上部分を想定し,
どちらかが不愉快に感じても,
それぞれに絶対的に有利で安全な場所を確保できているはずです。
体力的には圧倒的にカピバラが有利なのですが
クモザルは俊敏さで有利です。
お互いの安全な場所が確保されているので,共存は可能です。

オープンしてからクモザルの気になる行動が見られました。
ロープにぶら下がりカピバラにちょっかいを出す。
想定していた以上に地上でくつろぐ時間が長い。
それでも当初はクモザルとカピバラが目と鼻の先で昼寝をする光景が見られていました。
ところが特にシャボがカピバラに与えている牧草を頻繁に横取りするようになりました。
下手をするとカピバラが口にくわえてまさに食べようとしている草まで
奪い取るようになってきました。
クモザルにとってはそれは食べると言うよりは遊びに近い行動でした。

カピバラにとっては食べ物を奪われることは許し難い行為です。
事故の一週間ほど前にシャボが腕をカピバラ(オス)に咬まれました。
それ以来,シャボはカピバラに一目置くようになり極度の接近をしなくなりました。
しかし,一点シャボの気になる行動がありました。
頻繁に水に入るのです。
落ち葉や残念なことに来園者が投げ入れて水面に浮いているお菓子などをとりに
二本足で立ち腰くらいまで入っていくのです。

水中はカピバラの聖域でありクモザルの俊敏さという優位性はなくなります。
クモザルの他の個体は水を怖がるため,
いざというときには樹上に上れるポジションを取ります。
シャボは水を怖がらないため
カピバラとプールにはさまれるようなポジションもわりと平気でした。
咬まれてこりたこと,日中にクモザルに給餌をして牧草への興味を少なくするなどの対策をして,
共同生活も軌道に乗り始めたと判断していた矢先の事故でした。
おそらく,何らかの形で食べ物が関わっていると考えられるのですが,
確かな原因かは分かりません。
シャボがカピバラの力量を見誤ったことと我々の見通しが甘かったことは確かです。

翌日から給餌方法などを見直し同居は継続しています。
両種とも肉食動物ではありません。
元来争いを好むことはありません。
今回のことは通常では考えられない出会い頭の事故の要素が強く,
お互いがパニック状態となり死にまで至ってしまったと判断しています。
決して命を軽んじて実験的な意図でくもざる・かぴばら館を建築したわけではありません。
飼育下では単調になりがちな時間の流れを異種動物を同居させることで
お互いの種にとって適度なプラスの刺激となりより豊かな時間を過ごせると考えています。

今後も異種動物の混合展示に取り組んでいきたいと考えています。
野生下では何十種類もの動物が共存しています。
食べる側,食べられる側すべてがです。
飼育下では一種類毎に飼育するのが一般的ですが,
より深く動物たちを理解するには混合展示は大切な要素だと考えています。

2005年8月29日月曜日

「かわいい」分類 (平成17年8月)

これから夏本番ですね。
8月オープンのくもざる・かぴばら館の建築,
来年に向けてのチンパンジーの森の設計の大詰めを迎えています。

さて,皆さんは動物園であるいはテレビで動物たちをどんな視点で見ているのでしょうか?
動物たちのどんなところに興味があったり感情が動いたりするのでしょうか?
僕は動物番組や新聞などを見ていて
動物の分類には「かわいらしさ」を基準にした分類基準があるような気がしています。
僕の中では動物の命には生物学的なたとえば食肉目といった分類ではなく
別の分類基準があります。
それはヒトが長い年月をかけて作り出した「ペット・家畜種」と「野生種」という分類です。

僕たちヒトはヒトの都合だけでルールや価値基準を決めて,
その基準に合わない物は排除して生活圏を広げてきました。
動物に対しても同じです。
自分たちにとって都合のいい動物を作り出してきました。
ですから動物を見る時に「かわいい」や「擬人的な表情や姿」はとても魅力的です。
私たちは動物を見る時にペット種も野生種もこの価値基準で見ているような気がします。

野生動物にはそれぞれの環境の中でのルールや価値基準があります。
食べる側,食べられる側が共存しているのです。
凄いことです。
ヒトとは全く異なるルールで生きているのですから
野生の動物はある意味私たちヒトと「対等な命」といえると思います。
フクロウを見て「かわいい」でも野鳥にとっては「恐ろしい・危険」,
傷ついた野鳥のヒナを見つけて「かわいそう・助けてあげたい」
でもタカにとっては「その日を生きるための大切な食料」です。
「かわいらしさ」から野生動物の本質は見えてきません。

アライグマは「かわいい」分類でヒトのルールに持ち込んで,
でも「かわいくなかった」から野山に捨てられて外来種として問題になっています。
キタキツネは「かわいい」から餌付けをしてヒトの生活圏に招いておいて,
エキノコックス症の原因であるのが分かってからは,
それまでとはうってかわってヒトの生活圏から執拗に駆除しています。
野生動物との共存は「かわいい」分類からは見えてきません。

「動物を愛する」方法は「かわいがる」だけではありません。
彼らのことをよく知る,干渉をしない,そっと見守るといった愛し方もあるはずです。
ヒトが作り出したペット種の「かわいい」分類の延長線上に
「野生種」は存在していないのです。