2011年12月31日土曜日

原点に立ち返る (平成23年12月)

早いものですね。
動物園も初冠雪を迎えました。
冬は冬らしくあって欲しいですね。

年末を迎え、来年に向けての施設の設計が大詰めを迎えています。
現在のキリンやカバがいる総合動物舎を建て替える大型草食獣館、
職員手作りの檻が並ぶ北海道産動物コーナー、
やはり老朽化が激しいため立て替えを計画しています。

現在の総合動物舎は昭和42年のオープンからある最後の獣舎です。
寝室は飼育頭数分つまりキリン、カバ共に2部屋づつしかありません。
繁殖をしても子を長く飼育することはできないために、
他の動物園に出すしかありませんでした。
次の世代を継ぐ子を飼育できなかったのです。

新しくするのであれば最低3部屋は必要です。
なんせそれだけでも建物が大きくなります。
つまり予算とのにらめっこです。
この財政難の中でのギリギリを目指し
それでも過去最高額の予算が必要になる焦り、
さらに旧遊園地跡地での建築を予定しているので、
冬期間はペンギンの散歩を待つ来園者のための
暖を取れる休憩所も必要だと考えていました。

いつの間にか、さまざまな要素のすべてを
どう納めるかを考えるようになっていました。
何かしっくりこない、もやもやとした思いが募っていました。
旭山らしさって何だ?原点に立ち返って図面とにらめっこしました。
思いっきりの良さ、常識をベースにしない、だったとふと我に返りました。
たくさんの方にご迷惑をかけながら設計は進んでいます。
振り返ることなく前を向いて進み新たな年を迎えたいと思います。

 
観光客がたくさん訪れるようになり、
地元の方の足が遠ざかり数年が経ちます。
地元の方もお客さんが来たから連れて行く場所になり、
昔のように自分たちのために行く機会が
少なくなったのではないでしょうか?

冬期閉園をしていた頃、市民からおたくら冬は失業保険もらってるのかい?
と心配されました。
今では冬こそ旭山になりました。

旭川に根を下ろした動物園でありたい。ずっとそう思っています。
仲間を誘って、ぜひ自分たちのために動物園に足を運んでいただけたらと
今回の企画を実現しました。

日ごろの感謝を込めて、旭山動物園からのささやかなお年玉です。
カバの潜り(ゲン画伯)

2011年11月30日水曜日

人のわがまま (平成23年11月)

今年から、閉園期間が変わりました。
この手紙がみなさまに届く頃はまだ閉園期間中ですね。
10月の第3日曜日までの夏期開園期間を11月3日までとし、
まだ秋の気配が残り、足を運びやすい時期まで開園期間を伸ばしました。

その代わりに園路や獣舎の補修、越冬作業のための休園期間を
11月4日から17日までとしました。
18日から冬季開園が始まりますのでよろしくお願いします。

10月も中旬に入り、ハクチョウ類などの水鳥(野鳥)が
渡ってくる季節を迎えました。
昨シーズンは高病原性鳥インフルエンザが
日本各地の養鶏場などで発生し、野鳥での発生報告も相次ぎました。

疫学的な調査から感染ルートとして
中国や韓国からの渡り鳥が持ち込むルートと
シベリアなどの北方から北海道を経由する渡り鳥が
持ち込むルートがある可能性が非常に強いことが判明しました。

今シーズンはウイルスが持ち込まれることを前提
にさまざまな議論が行われ、対策が講じられつつあります。
野鳥にとって幸いだったのは、感染力や死亡率が低く、
過去に諸外国で見られたような
群れごと全滅するような事態になっていないことですが、
裏を返すと感染したまま移動し
糞中にウイルスを排泄する個体が存在することになり、
各地での伝搬が止まらないことになります。

人の側が一番恐れているのはニワトリへの感染、人への感染ですが、
根本的な原因を招いたのは、
人の側が自分たちにとっていいところだけをつまみ食いするような
ハクチョウ類への関わり方をし続けてきたことだったのではないでしょうか。
結果ヒトとハクチョウの距離が不自然な近さと密度になってしまいました。

全国的な一方的な餌付けの自粛は
ハクチョウたちにとっては死活問題です。
今までとは違うハクチョウたちの行動を招くでしょう。
それがまた人にとっては不都合、
さらには恐ろしいになる可能性があります。
でも翻弄されているのは
常に動物の側であることは忘れてはならないでしょう。

都合がいいと言えば、最近アザラシのあらちゃんが話題になっています。
またもお決まりの特別住民票です。
荒川に迷い込んだアザラシの側に立ち興味、関心を持つと
まったく違う関わり方が生まれるはずです。

これからのさまざまな生き物との共存を考える時、
人の側の興味、価値観に引き込んで相手を見る関わるスタンスから
離れないといけない時期なのではないかと切に思ってしまいます。
なんでここに!?(ゲン画伯)

2011年10月31日月曜日

エゾシカの未来 (平成23年10月)

「食欲の秋」ということで
旭川食べマルシェ(2011年9月17日~19日開催)も無事に終わりました。
2回目の今回は旭山動物園も出店しました。

エッと思われる方もいらっしゃるでしょうが、
エゾシカ関連の商品を売りました。
実はエゾシカチップスとエゾシカ石けんを
旭山動物園公式グッズとして売り出したのです。
今回は間に合わなかったのですが
エゾシカセーム皮とエゾシカセーム皮を使ったぬいぐるみも
発売予定です。

エゾシカは在来種にもかかわらず北海道の根幹を揺るがす程数が増え、
全道で64万頭が生息していると言われています。
北海道はその頭数コントロールのために
今年は14万頭の駆除目標を立てています。
狩猟の解禁日を早めたり自治体も独自に「懸賞金」のような形でお金を拠出し
駆除を進めています。

駆除されたエゾシカはどうなっているのか?
昨年はその9割近くがゴミとして処分されました。
北海道の大地の豊かさがエゾシカという命になり
大量のゴミとして処分されていく。
ヒトの都合でエゾシカが住みやすい環境をつくり
その中でエゾシカはただひたむきに生きようとしているだけです。

その結果が今です。
自然のバランスを崩した責任は僕たちヒトにあります。
自然そのものを破壊してしまう程に増えた
エゾシカをコントロールできるのもヒトだけです。
自然のバランスを整える過程で失われる命に対して利用すること、
いただくことが奪った命に報いることなのではないでしょうか。 

家畜の話ですが北海道では開拓時代にヒツジの飼育を始めました。
ところがヒツジを利用する文化がなく、ヒツジの飼育は一時断念されました。
その後ジンギスカンという形で北海道を代表する食文化に育ちました。
エゾシカも僕たちの日常の暮らしの中のおいしい味覚に育て
食文化として定着させることが
エゾシカとの共存の未来を探るカギになると思います。
いつまでも大量の税金を投入しゴミとして処理を続けることは
あまりにも悲しいことに思えます。

エゾシカほど、その姿や暮らし方、美しさが
北海道の四季の美しさ豊かさと重なる動物は
そうはいないと思います。
とても素晴らしく逞しい動物です。

エゾシカを尊く思うからこそ
自慢できるくらいにおいしいエゾシカをたくさんの方に知って欲しい。
大地から大切な恵みとしてみる視点が育って欲しいと願っています。
ヒツジとエゾシカ(ゲン画伯)

2011年9月30日金曜日

もの思いの秋 (平成23年9月)

過去に例を見ない雨にたたられた夜の動物園も終わり、
カンタンも鳴き始め秋の気配が漂い始めたこの頃です。
今年は節電の影響もあってか、
例年より関東からのお客さんが多かったように感じました。
私たちの文明はどこに向かっていくのでしょうか?

夜の動物園の期間中、自分の中でのワクワクは、
ミーハーですがオオカミでした。
見る見る大きく逞しくなる子供たちの行動と
最近頻繁に見られる親と一緒に遠吠えをする姿を
月明かりで見てみたいと期待していました。

辺りが暗くなると親が丘の上に座り見守る中、
子供たちがじゃれ合い走り回っています。
やはりケンとマースも子が生まれ守るべき群れを持ち守るべき場所を持ち、
一回り成長したように感じます。

そして閉園間近の遠吠えです。
父親のケンが鳴き始めると子供たちがケンの周りに集まってきます。
ケンに寄り添うように並び、首を伸ばして
口を月明かりの空に向け高く突き出し、
まだ遠吠えにはほど遠いのですが鳴き始めました。
周りで見ていたお客さんの子供たちも一緒に遠吠えをし始めました。
思わず涙が…出そうになりました。

120年前の北海道にタイムスリップしたような感覚というか、
昔旭山でもこの一帯をテリトリーにしていた
エゾオオカミの群れが特別なことではなく、
ヒトに聞いてもらうためではなく、
日常の生活を守るために遠吠えをしていたのかも知れません。

動物たちは環境と共に暮らし、
ヒトは環境と対峙し克服するかたちで暮らします。
ヒトの文明は過去何度も滅びています。
環境破壊が滅亡の原因だと分かってきています。
ヒトは同じことを繰り返しています。

果たして一番智慧のある生き物は誰で
一番愚かな生き物は誰なのでしょう?
そんなことを考えながら夏の夜が終わっていきました。

2011年8月31日水曜日

たくましく! (平成23年8月)

今年も気づけば夏も終わりです。
月日の経つのは相変わらず早いものです。
オオカミの子は順調に成長し、数日出張で見ないと、
大きく逞しくなっていて驚きます。

ヒグマの子の成長のゆっくりさと対照的です。
動物の子育て、成長を見守っていると、その動物のおかれている環境や、
さまざまな種類の動物たちとの関係が想像できます。

オオカミは強い肉食動物、そう感じている方が多いかも知れません。
無事に大人になりパックという群れを形成したオオカミは強いのですが、
群れを持てる個体はそう多くはありません。
多産な種はたくさん死ぬから多産なのです。
オオカミの暮らしは決して王様のような暮らしではないのですね。

オオカミの子の話に戻ります。
やんちゃにとっくみあいをしたり、追いかけっこをしたり、
食べ物の奪い合いをしたり、親に甘えたり、見ていて微笑ましく思います。
でも時にはいじめられているように見える時もあり、
仲間はずれにされているように見える時もあり、
お腹を見せて謝っている時もあります。

成長の過程の中で、さまざまなことを学び、
自分の能力を知り大人への階段を上っていきます。
肉体的に強い個体は他を思いやる心を身につけ、
弱い個体は和をとり、
支える気持ちを育てていきます。
強い個体が絶対ではなく、
さまざまな個性が調和を取りながら生きる術を身につけていきます。
子供の遊びは時に残酷に見える時もありますが、
大人の仲間入りをするための大事な勉強の時期でもあります。

動物たちの暮らしの中から、私たちヒトが忘れてしまったことや、
今一度考えて見直してみなければいけないことが
たくさんあるように思います。

最後に先月号の続きになるのですが、
震災以降めっきり姿を見なくなった外国の方が、戻り始めています。
なるほどガイドを始める数分前から
オランウータンにエサを与えながら開始を待ちますが、
アジア系の方々が最前列を埋めてしまう時があります。
 
ガイドが始まり日本語で話し始めると、
一斉にいなくなりぽかんと穴が空いた状態になってしまいます。
自分の語学力があればと痛切に感じてしまう瞬間です。

せめて紙芝居のように
数カ国語に対応できるようなことも考えなきゃと思いつつ
何もしないまま日が流れるように過ぎているこの頃です。

2011年7月31日日曜日

気づき (平成23年7月)

やっと夏が来るぞって気候になってきましたね!
旭川もなんだかワクワクする街になって行けばいいなと思います。
動物園にも市民や近郊の人の足が戻ってきて
動物園の原点を改めて考えたりしています。

そんな中、昨年から取り組んでいる「なるほどガイド」。
「もぐもぐタイム」とは視点を変えて、
日頃職員が考えていることや取り組んでいることをお話しするものです。

ただ知名度が今ひとつで
苦戦(予定時刻にお客さんがいない)することが多いのも事実です…。
継続は力なりです。めげずに頑張っていこう!と励まし合っています。

そんな中自分も時間が許せばオランウータンの前で頑張ってます。
雨の日も風の日も…。
けっこう頻繁にオランウータンたちに会うことになるのですが、
機嫌のいい日もあれば、
なにが気にくわないのかいらついている日もあります。

通り過ぎるように姿だけを見ていると変化がないように見えますが、
彼らにも日常の喜怒哀楽があるのだなと感じます。
ジャックとリアン・モリト母子は別々に生活をしていています。
一日おきに午後は屋外放飼場で暮らしているので、
一日おきにジャックと関わりながらガイドをしています。

オランウータンは考えてから行動する動物です。
室内展示場を造った時にも、
ジャックならきっと気づくだろうなと心配していたところは
ことごとく気づかれ破壊されました。
また気が遠くなる程観察し続け、
考え続けるとんでもない能力を秘めています。

屋外放飼場で空中散歩をすると、
ヒトは一斉にぽかんと口を開け見上げ、
自分を見つめる不思議な生き物。
高いところから手を叩くと、
地面にいるヒトは一斉に自分のまねをするように手を叩く…
ジャックは彼なりにヒトの習性を見破っています。

僕もジャックの習性を観察しています。
ちょっとしたエサを与えながら、
彼らの故郷の現状の話をするのですが、
話に夢中になりエサを与える間隔が長くなると
イライラしてチューチューと口を鳴らすのですが、
エサをくれではなく自己ピーアールをする時があることに気がつきました。

僕に視線が集中することがおもしろくないかのように、
自分の頭を叩きフランジ(ほっぺのヒダ)をプルンプルンと揺すります。
話を聞いていた人たちの目線はジャックに釘付けです。
笑い声が響きます。
いらついている時とは明らかに異なる音を発したりもします。
悔しいですが僕の負けです。

さらに僕は気がつきました。
このような行動をするのは
決まって若い女の子(ヒト)がたくさんいる時なのです。
無邪気な甲高い笑い声、確かに僕も心地いいのですが…
ジャック恐るべし、の巻きでした。

2011年6月30日木曜日

目覚め (平成23年6月)

近年の中でもより早い雪解けだと思ったら、
4月下旬からいっこうに暖かくなりませんでしたね。
桜が5月中旬すぎてやっと満開なんて
記憶にないくらい遅かったのではないでしょうか。

虫や鳥たちのリズムにも影響があるようです。
園内では在来植物の定着、展示にも力を入れているのですが、
5月中旬すぎにヒメギフチョウが飛んでいました。
ヒメギフチョウの幼虫はオクエゾサイシンという植物を食べるのですが、
チョウの羽化、植物の成長、
産卵すべてが連動して遅い春となったようです。
さまざまな営みがちゃんと修正され
帳尻が合う程度ならばいいのですが、
最近の気候は乱暴になってきているのでちょっと心配です。

さて、ヒグマの子はスクスクと成長しています。
自由に転げ回って遊ぶ子供たちと、
それをしっかりと見守る母親の姿が印象的です。
春の山菜取りや釣りのシーズンになると
親子のクマには特に注意!と言われますが、
母グマの子グマに対する愛情や安全に対する気配りを見ていると
当たり前だとつくづく思います。
クマを危険な動物にしてしまうのは
ヒトのわがままな行動が原因なことが多いのだと改めて理解できます。

母親の「とんこ」は1999年4月30日に母親を駆除されて
当園に持ち込まれました。
当時まだ体重数キロの子グマでした。
「とんこ」が母親になり子育てをする姿が、
「とんこ」と「とんこ」の母親と同じ運命をたどるヒグマを
少しでも減らすことにつながってくれればと祈らずにはいられません。

シンリンオオカミも繁殖しました。
メスが巣穴にこもる時間が長くなり
「もう近い」のではと見守っていたところ、
5月6日オスの「ケン」の態度が明らかに変わりました。
いつもは寝室に入りエサを食べてから放飼場に出るのに
その日はエサを口にくわえ
放飼場に戻り巣穴にいるメスの「マース」に運んだのです。

以降「ケン」は頻繁にエサを埋めて隠し掘り出しては
「マース」に運ぶようになりました。
「マース」が「ケン」の口元を舐め
エサをねだる行動も見られるようになりました。
子が生まれ母性が目覚めるように、
「ケン」も父性が目覚めたのですね。
オスメスそれぞれがそれぞれの役割を果たしながら
子育てが続いています。
子が巣穴から姿を現す日が楽しみです
※5月24日から子が巣穴から出ている様子が見られています)。

オオカミの森が「ケン」と「マース」の営みの場になりました。
たくましく成長する子の姿を見守っていきたいです。
シンリンオオカミの「ケン」と子ども

2011年5月31日火曜日

新たな命 (平成23年5月)

例年よりもさらに早い雪解けでとても早い春を感じています。
震災の影響と言うよりも原発の影響で
外国の方をぱったりと見なくなりました。
新型インフルエンザ、高病原性鳥インフルエンザ、
口蹄疫の時も問題になりましたが
日本の危機管理のあり方が問われています。
それにしても莫大な量の電力に頼った暮らし方に改めて気づかされ、
エコって何だろうと考えた方も多いのではないでしょうか。

新しくなったタンチョウ舎は現在、ヨシやガマの植栽が終わり
ビオトープが完成しつつあります。
両生類・は虫類舎も既存の施設をそのまま生かし
スッポリと覆ったとは思えないできです。
念願のタンチョウの繁殖成功に結びつけばと、
今からワクワクしています。

春に向かっての繁殖にも期待しています。
旭山初となったヒグマの子は順調に生育しています。
オオカミの森ができてから初の繁殖も期待しています
(※現在オオカミは出産し、子どもは順調に生育し、
巣箱からも姿を出しています)

さらにカピバラも…
勿論期待であって現実になるかはまだ分かりませんが。
毎年冬になるとお客さんからどこにいるのですか?
と質問されることが多いカピバラですが、
実は昨年の12月に待望のオスが来園しました。
まだお披露目はしていないのですが
(※夏の開園から外の放飼場で展示をしています)
越冬中に旭山のメスの姉妹ピョンとゴンベとペアリングを行っていて、
繁殖の可能性が出てきました。

ピョンとゴンベも11月生れだったので、
皆さんには小さな赤ちゃんの頃はお見せできませんでした。

カピバラの子はモルモットの倍くらいの大きさで生まれます。
親をそのまま小さくした感じです。
親子の愛情は深く親子並んでひなたぼっこをする姿は、
どこか瞑想をしているようでとてものどかです。

ただしみるみる大きくなるのでたくさん生まれると行き先探しが大変です。
うれしい悲鳴ですね。
カピバラの親子旭山での繁殖は2005年のピョンたちが最後でした。
新たな命の誕生は僕たちも元気をもらえます。

今年も新しい夢をたくさん見つけ
動物たちと共に夢の実現に一歩でも前進したいと思います。
エゾヒグマの「とんこ」と子ども(ゲンちゃん画伯)

2011年4月30日土曜日

新たな門出 (平成23年4月)

東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈りすると共に、
被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

旭山動物園でも、震災に対しての義援金の募集箱の設置、
被災地の動物園水族館を支援するための
見舞金の募集の案内をしています。

被災地の動物園からは、職員の中に家がなくなってしまった方や
家族が行方不明の方がいる中、飼料や水、
燃料の欠乏という現実と立ち向かい
必死で飼育業務に当たる悲痛なメールが届いています。
命をあずかることの重さを改めて感じています。

日本動物園水族館協会の加盟園館が一丸となり
支援体制を整えています。
3月の18日に第一弾の支援が被災園に届きました。
同業者がそれぞれの分野で支援することも大切なことだと思います。

僕は地震の日、東京の上野動物園にいました。
ゾウ舎の建物の2階で
ゾウ舎の構造やゾウの多頭飼育について話し合っていました。
突然、経験したことのない揺れが襲いました。
正直足がすくみました。
でもすぐにテラスに出てゾウの様子を見ました。
いわゆるビビリ便をしていましたが意外と落ち着いていました。
プールの水はザブンザブンとあふれ、
お客さんは地面にしゃがみ込んでいました。
倒壊する危険がある建物などが近くにないためか、
皆落ち着いて行動していました。

その後、何回かの大きな余震があり
「これは帰れないかも」との思いがよぎりました。
上野動物園に被害はなく、電車が全部止まっていましたが、
歩いても1時間くらいの所に予約したホテルがあることが分かり、
歩くことにしました。

人人人…、黙々と歩く人、談笑しながら歩く人、バス停には長蛇の列、
でもなぜか緊張感がありません。
たくましいなと思う反面、東京は容量オーバーだと感じました。

東京に行くと数日で気疲れしますが、
人が多いこともそうですが、見渡す限り道路と歩道とビル以外、
畑や田んぼといった生活の基盤が何もない景色が
気持ちが落ち着かない原因だと気づきました。

地に足がついていない、どこか現実離れした環境が、
多少のことでは動じないたくましさを生んでいるのかも知れません。

今後数年は、旭川が旭山動物園がなんて言っている場合ではないでしょう。
一刻も早く日本中が平穏になれるよう頑張らなくてはなりません。
でもその先の未来につながることもあきらめずに
しっかりと継続していなければいけないでしょう。
今年の4月はあらゆる意味で新たな門出です。

2011年3月31日木曜日

これからの未来に向けて (平成23年3月)

今回の日記は、東日本大震災が起きる前に書いたものです。
今は日本が一丸となり一日でも早く復興を成し遂げるために
頑張らなければいけません。
もちろん旭川市もその一員です。
一方で地球規模での気候変動や環境破壊は進行しています。
旭山動物園が取り組んでいる環境や生物多様性の保全を目指した活動は
継続していかなければいけないと考えています。
動物園にとっても今後様々な状況の変化があると考えられますが、
その状況の中での精一杯をこれからも続けていきたいと思います。

冬祭りも終わり、寒気もゆるみ早くも春か?みたいな天気です。
今年はタイやマレーシアなど今まで見なかった国の来園者が目立ちました。
本当に国際化してきたんだなと感じます。
暖かい国の人たちに、寒さをテーマにどのように見ていただけるのか
しっかりと考えていかなければいけませんね。
それにしてもわざわざ
旭山動物園をツアーに組み込んでもらえるなんて凄いことです。

今年も雪解けが早そうで、そうなると気になるのがエゾシカです…
2月に入ってからエゾシカの駆除の現場に
何回かお邪魔させていただきました。
200頭を目標に、と聞くとその程度ではどれほどの効果がなんて
勝手に思ってしまうのですが、
実際に行われる命の間引きの現場はどうなっているのだろう?
エゾシカを飼育展示している動物園の人間として
関わっておかなければいけないとの思いでした。

何よりも驚いたのが、樹皮や木の芽の食害でした。
知床程ではありませんが、
このままでは数年後にはこの雑木林はどうなっているんだろう?
旭川でもここまでなっている場所があるんだと愕然としました。
さらに一度に多数のエゾシカを狩ることの
難しさと大変さを目の当たりにしました。
机上の議論を具体化する現場の大変さを再認識しました。
さらに猟友会の方々の自然に対する造詣の深さや、
思いやりにも感動しました。
自分ももっと逞しくあらねばと強く思いました。

さて新年度の予算です。
念願の総合動物舎建て替えのための実施設計費が認められました。
仮称アフリカ生態園と呼んでいたものです。
開園以来からの施設でカバやキリンのいる建物です。
アジアゾウのアサコやマルミミゾウのナナ、シロサイのノシオ…
皆ここで暮らしていました。
湿気などで思いの外老朽化が進み、
だましだまし使っていますが限界が近づいていました。
何より、展示動物の数だけしか寝室がなく、
生まれた子供を残しておくことができませんでした。
カバは2頭、キリンも2頭開園以来暮らしている、
カバのゴンとザブコの子も皆他の動物園に
出さざるを得ませんでした。
旭山の血統は旭山で継代すること、これはホッキョクグマに限らず
将来も飼育展示する動物を維持するための基本です。

ですから新しい施設では、
最低カバは3頭、キリンは4頭程度飼育できる寝室を
用意しなければいけません。
それだけでも大変な金額になります。
厳しい財政状況の中、切りつめるとこは切りつめながら
旭山らしさを具体化していく覚悟です。
旭川市の大切な財産になるように頑張ります!

2011年2月28日月曜日

今年は何が… (平成23年2月)

今年は、久しぶりにしっかりとした冬ですね。
でも雪の降り方が乱暴です。
札幌から岩見沢近辺まではどうなっちゃうのといわんばかりに
雪が降り続いています。
高速道路もJRも国道までもまったく当てにならない状態です。
札幌でさえ行くのをためらってしまいます。
逆も同じで帰りのことを考えると
旭山動物園に行くのもためらわれることでしょう。
団体旅行のバスも午前中に高速道路が封鎖になることが多いので
物理的にキャンセルが頻発しています。

温暖化といいますが、僕たちには体感できないくらいですが、

地球全体では気温が上昇していて、
海水温の上昇や海流の変化などが大きく影響して、
局地的な気候変動が起きているのは事実のようです。
じわじわと心地よく暖かくなるのではなく、
僕たちが対応不能な事態を伴いながら気候が変わっていくのでしょう。
環境と共に暮らす野生動物たちにとっては
急激な変化はさらに深刻な事態を招くと思われます。

旭山動物園のホッキョクグマの「サツキ」と「ルル」の繁殖は

今年は実現しませんでした。
ホッキョクグマはヒグマと異なり、
繁殖するメスだけが冬ごもりをします。
繁殖しないホッキョクグマは冬の間にたくさん食べ
体力をつけ春の発情期を迎えます。
結果としてサツキもルルも本来ならばしっかりと体力をつけるべき期間に
一ヶ月以上も絶食状態になっていたので、
これからしっかりと食べ寒さの中でしっかりと運動し、
春の発情を迎えられるようにしなければいけません。
可能性をより高めることが今年の目標になります。
 
現在進行形で考えるとうきうきしてしまうのは

茶色いクマ、そう、ヒグマの「とんこ」です。
現在出産のために産室で過ごしています。
行動の観察から出産の確率はかなり高いです。
ヒグマの繁殖成功は旭山では初になります。
「とんこ」も「くまぞう」も親を駆除され飼育下に持ち込まれた個体です。
ヒグマの愛情の深さや素晴らしさを伝えることが
命をあずかった僕たちの責任です。
(※ヒグマの「とんこ」は2011年1月17日に出産し、
現在順調に2頭の赤ちゃんが育っています)

春には北海道産の両生・は虫類舎とタンチョウ舎が完成します。

地元の生き物の素晴らしさをたくさん発見して欲しいと思います。
次は何を具体化するのかって?実はそこが問題なのですが…
まぁなるようになるということで目の前のことに全力投球で、
未来を切り開いていきましょう!
皆さん応援よろしくお願いします。
子育てするヒグマの「とんこ」(ゲンちゃん画伯)

2011年1月31日月曜日

新たな思い (平成23年1月)

明けましておめでとうございます。
今年こそは市民全員に足を運んでいただきたいと願う私であります。 

昨年の暮れ、僕が死んでも現役であろう若者数名、
つまり未来の担い手を連れて、
シマフクロウの営巣巣箱の清掃のお手伝いに行ってきました。

シマフクロウと聞いて皆さんは何を連想されましたか?
川、巨木、うっそうとした森…
どこか神秘に包まれた深い山奥ではないでしょうか?
北海道に約120羽しかいない希少な鳥です。

環境省はかなり前からシマフクロウの保護増殖事業に取り組んでいますが、
情報がほとんど公開されることはなく、棲息地等の情報も事実上秘密扱いで、
一般の目からは隠そうとしながら事業が継続しています。

そんなこともありシマフクロウは
どこか現実とはかけ離れた存在になっています。
大切にしなければいけないと言いながら
彼等の暮らしを知ることができないのです。

シマフクロウは巨木の樹洞で繁殖します。
ウグイなどの川魚を中心にノウサギ、小鳥などの小動物を食べます。
海が近ければ海水魚も食べます。

彼らは長距離を移動せずに、
水系沿いに移動しながら番で縄張りを持ち暮らしています。
実はウグイなどの魚が豊富にいる河川は
ある程度の水量があり流れの緩やかな河川ですから
山奥の秘境ではありません。
私たちが自分たちの生活圏に取り込んでしまった河畔林が
シマフクロウの生活圏だったのです。

今回お手伝いさせてもらった場所もイメージとは大きく異なり、
数十メートル先に畑や牧場がある平野部の河畔林でした。
正直エッこんな所に…ショックでした。
そこには養魚場があり、その魚に大きく依存しながら
2ペアーのシマフクロウが暮らしていました。
ある程度大きな木はあるのですが、
シマフクロウが利用できる大きな樹洞のある木は
既に朽ち果て、人工の巣箱で命を繋いでいました。

その巣箱をつくり、
植樹をしシマフクロウを見守っている会の人たちと共に寝泊まりしました。
環境省が主体ではないので学者、有識者ではありません。
その水系の豊かさを享受している人たち、
つまり養魚場、牧場、漁業、林業等に関わっている人たちでした。

森と海を繋ぐ豊かな川が自分たちに恵みをもたらしてくれる。
だからこの川を大切にすること、
つまりシマフクロウが生活できる河畔林を
守り育てることが大切で尊いこと…
熱く語ってくれました。

巣箱の清掃作業も皆冗談を言いながらみな笑顔で、
はれ物に触るような慎重なものではありませんでした。
シマフクロウが現実の暮らしの中にいました。
シマフクロウとそこに暮らす人たちに垣根はありませんでした。
僕には新たな目標ができました。今年も頑張ります!
シマフクロウ(ゲンちゃん画伯)

2011年1月2日日曜日

年始のあいさつ (平成23年1月2日)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨年は、我々が生きていく道しるべとしてのキーワードは
「エコ」、「生物多様性」そして「命の大切さ」だったでしょう。

エコという言葉は、何がエコなのか訳の分からないエコポイント
(自分も利用してしまったけど…)と共に言葉だけはすっかり定着しましたね。
そもそも買い換えるよりも
使い切ることの方がエコなのはわかりきったことなのにって
愚痴は置いておいて、エコって何?Co2削減ですか?
念仏のように唱えられていますが、
Co2削減は一手段であって目的ではありませんね。

ではエコの目的は目指すものは何?温暖化防止ですか?
仮に人類が増やしたCo2を削減して、
温暖化が防止あるいは遅らせることができたとしましょう。
でも今のやり方では
その結果として驚くほど多種の生き物が絶滅しているでしょう。

僕の考えるエコは「人類も含めて地球上のあらゆる生き物が
今よりも輝き続ける未来のためにできること」です。

そう考えると、省エネ、効率化は
ヒト以外にはやさしくない方向に向かっていると思いませんか?
ヒトが定住し田んぼや畑を作る以前から
そこにはたくさんの生き物が暮らしていました。
一昔前までは技術が未熟なためヒトは奪い続けながらも、
共有する生活を営んでいました。
家にはスズメが巣を作る煙突や換気口があり、
ツバメが巣を作る軒下があり
ヤモリやコウモリまでもが共に暮らしていました。
稲刈り後の田んぼには落ち穂がありたくさんの鳥が集まっていました。

今の省エネ住宅はスズメもツバメも暮らせません。
かといってどこかに替わりの場所を用意してあげてもいません。
土地の利用の仕方も今の私たちはすべてきっちり「いただきます」です。
グレーゾーンがなくなりすべて白黒はっきり全か無です。
僕は最新式の家よりも少しエネルギーの消費が多くても、
スズメや虫たちと暮らせる家の方がエコだと思います。
「スズメと共に暮らせる家」どこか発売しないですか?
きっとヒトも「心豊か」になれますよ。

僕のエコは、テレビをほとんど見ない(見る時間がない)、
庭が雑草ボウボウ、庭木は在来種もたくさん、
カーポートでスズメが巣作りできる、
カップ麺は食べない(パーム油)、できるだけ食べ残さない、
動物目線で物事を見る・考える・具体化するってとこでしょうかね。
でも車にはこだわりがあるのでエコカーにはできません。

僕が強く思うのは、ヒトが作り出したもので
ヒト以外の生き物のためになったものはないと言うこと、
そのことを自覚することから物事を組み立てないと、
ヒトとヒトに都合のいい生き物だけのための地球になってしまうのではないか?
豊かさの価値観を変えていかないと…

生物多様性、命の大切さについてはまたの機会に…書きますね。
みなさんにとってよい一年でありますように。 
2011年、年始(ゲンちゃん画伯)