2006年12月31日日曜日

年末に思うこと (平成18年12月)

冬季開園が始まりました。
ふたを開けてみると恐ろしいことに
対前年同月比200%の入園者数です。
気候も変だけど,こっちの方がもっと異変です。
年が明けてからはペースダウンしてもらわないと
真剣にパンクしてしまいます。

ペンギンの散歩が…。
先日,新聞でも報道されたように,園内フラッシュ撮影の禁止,
ペンギンの人止め柵の改修をしました。
残念ですが,マナーの悪化に歯止めが掛かりません。
ペンギンの散歩はマナーを守ってもらえないと出来ません。
ロープなどを張ってまで行う気はありません。
ロープを張ってペンギンとお客さんを物理的に分けると
パレードになってしまうからです。
来園者がとても多いので,
パレードとか行進といったイメージがつきまとうのですが,
僕たちはあくまで散歩がしたいのです。

キングペンギンは集団で歩くのも,ごく当たり前の習性だからです。
ペンギンの安全が確保できないと判断したら,
散歩の途中で引き返したり,
中止せざるを得ないのですが,
実際,そうなったらどうなるんでしょうね。
罵声の嵐どころじゃ収まらないでしょうか?
覚悟だけは決めておくしかないようです。

観光誘致やさまざまなPRも必要ですが,
目的は来園者数の増加ではなく,
来園された方にどのような気持ちを
持って帰ってもらえたかが重要なのですから,
履き違えないようにしなければ,
それこそブームで終わるような気がします。
今が今のためだけであってはいけないと,
こんな時だからこそしっかりと意識しなければいけないのだと思います。

さて,先日かみね動物園のゴリラ同居のドキュメンタリー番組を見ました。
とても立派な雄でゴンタのことを思い出しました。
惚れ惚れするような立派な体格,
腕力があるのに,信じられない程デリケートで繊細な神経の持ち主。
強いものが際限なく強くなっていかない自然の巧みさを感じます。
番組を見て飼育するとは相手をどこまで理解し読み切り,
自信を持って向きあうことが出来るか,なのだと思いを新たにさせられました。

番組の最後に
「このままではゴリラは本や映像の世界でしか
出会えない存在になってしまう」とありました。
生身のゴリラを目の前にして受ける気高さや存在感,
存在そのものから発するメッセージは何物にも代え難いはずです。

動物園は誰のためにあるの?
それは,きっと飼育動物たちのふるさとに住む彼らの仲間のために,
そして私たちが彼らを守るためにあるのです。

2006年11月1日水曜日

チンパンジー日記 2 (平成18年11月)

夏期開園も終わりました。
一息つく間もなく冬季開園に向け,越冬準備などをしなくてはいけません。
今年は例年になく園路や獣舎の改修がたくさんあり,さらにテレビ取材がびっちりです。
開園期間中よりも忙しくなる予感がします。
動物と飼育係だけの時間はもう二度と持つことはできないのでしょうか…
ひとつ,とても残念な改修を決断しました。
ぺんぎん館の手すりです。
高さを高くし,一部にはアクリルを貼って手を入れることが出来ないようにします。
干渉しない生き物とのつき合い方,ルールやマナーも提案できたらと思い,全国でも異例な,
遮る壁のない目の前でペンギンが見られる展示方法だったのですが,限界です。

さて,チンパンジーの森ですが,キーボがいないことに気づいたでしょうか?
実は,新居に引っ越してから世代交代が起きたのです。
引っ越して間もなくミコ(♀)に発情がきました。
子のミラクルが6才になり,そろそろ親離れの時期です。
ミラクルに手が掛からなくなってきて次の子を宿す準備が出来たのです。
発情当初はキーボがそばから離れずに交尾の権利を主張していたのですが,
息子のシンバが割って入ってきました。
シンバはフルト(♀)との間の子で11才。血気盛んな若者です。
ミコはシンバを選びました。
強気になったシンバはミコに操られるようにキーボに挑み掛かるようになりました。
肉体的にキーボに勝ち目はありません。
生傷が絶えなくなり,キーボは緊張の糸が切れたように精神的に弱気になってしまいました。
雌や息子を制御できなくなる屈辱は図り知れません。それでもミコの発情が終わると
シンバも落ち着きキーボと和解したように見えました。小康状態です。
ただ,ミコはキーボのすることがいちいち気に入らないようで,
時々癇癪を起こしキーボを追い回していました。

9月の末,キーボが唇に裂傷を負っていたため,迷ったのですが麻酔をかけ手術をしました。
その日一晩群れと隔離し,次の日の朝,群に戻しました。
事件はその時に起きてしまいました。
群れと一緒にした瞬間にミコがキーボに襲いかかりました。
群れ全体が騒然とする中,シンバが闘争に加わりました。床が血で染まります。
やっとの思いでキーボを隔離しました。
体中に傷を負い,膝関節が裂け,骨が露出しています。緊急手術を行いました。
幸い,後遺症もなく怪我は快方に向かっています。
もぬけの殻のようになった目にも生気がよみがえってきました。

厳しい社会,ルールが彼らにはあります。
野生下ならばキーボの役目は終わったのかもしれません。
キーボが旭山にきて31年,38才です。
どのような形で群への復帰が可能なのか模索する日々が続いています。

2006年10月28日土曜日

アライグマは悪い生き物? (平成18年10月)

今年の夏期開園ももうすぐ終わりですね。
今年もまた数字は記録ずくめでした。
9月の入園者数が昨年の魔の8月と一緒とは…。
中でも,施設としてではなく,個人で来園される車椅子の方が顕著に増加したこと,
今年度から介助犬を連れての入園を一部解禁したのですが,
たくさんの方が介助犬と共に来園されたことが僕には印象に残りました。
「坂がきついから」は,もう言い訳にはならないのかも知れませんね。

さて,話は変わってアライグマの話です。
ここ数年,「外来動物展」という特別展を資料展示館で行っています。
今年は旭川市でも初めてアライグマが捕獲されたこともあり,
アライグマを大きく取り上げながら外来動物の問題を広く知ってもらおうと,
さまざまな活動を行っています。
ただ,そこで「外来動物は悪い動物,イコールその種自体が悪い動物」
といったイメージを持ってしまいがちで,そうなると問題の本質が見えなくなります。

アライグマ自体はとても素晴らしい魅力のある生き物です。
鳥でも虫でも果実でも野菜でも何でも食べます。
手先が器用で,木にも登れる,沢のような浅い水中でも平気で入り,
水中の生き物も器用な手を使いつかまえて食べてしまいます。
このような多才な動物は日本にはいません。
もともと雑食動物は,生態系の中では草食動物,肉食動物の隙間を縫うようなポジションで,
ちょっと控えめに生活をしている種が多いのです。
本来の生息地,北アメリカでは大型のヤマネコやオオカミ,コヨーテといった
食物連鎖の頂点に立つ動物たちがいます。
アライグマは強いあごを持っていますが,北アメリカではたいしたことはありません。
アライグマは北アメリカの広大な自然環境のルールの中では
慎ましく他の生き物たちと共存し調和しているのです。

ところが,日本の自然環境のルールの中でアライグマが生活を始めたらどうなるでしょう?
キツネやタヌキでは彼らを追い出すことはできません。
北アメリカでは「つつましく」でしたが,日本では食物連鎖の頂点の肉食動物に化け,
さらに果実や野菜も食べ放題です。
誰も彼らに対抗する術を身につけてはいません。

日本の自然のルールの中ではアライグマはあまりにも多くの能力を持ちすぎ,異質です。
サッカーの試合にラグビーの選手をひとり入れたようなものです。
ラグビーの選手はひたすらラグビーをしているだけです。
でも,試合を成立させるためにはラグビーの選手を排除するしかありません。

日本ではアライグマをヒトの生活圏から一歩たりとも出してはいけなかったのです。
「かわいいから」と持ち込んだのは私たちなのだから私たちが解決しなければいけません。

2006年9月28日木曜日

「魅せる」理想と現実 (平成18年9月)

8月もチンパンジーの森のオープン,お盆期間の夜の動物園と
今シーズン最大の山場を超えました。
まさかここまでと思うほどの記録的な入園者を迎え入れました。
ただし,今年も想定以上の来園者数で迎え入れる体制が
後手後手に回った感は否めませんでした。
言い訳がましいですが,昨年の3割増のペースはさすがにいかがなものでしょう。
「もぐもぐタイム」などで来園者との接点になる僕たち飼育展示係は,
さまざまな理由からお客さんに頭ごなしに怒鳴られたり,叱られたりといったことが多くなりました。お客さんに「伝えよう」でここまできたのですが,その一番大切な気持ちが揺らぎそうになります。
例えば,ツアーバスで来園される方は時間に縛りがあります。
でもその時間内に観ることができると思って来園します。
ところがそうはいきません。
そこで,さまざまな不満が噴出します。
一般来園の車が多くなると,ツアーバスが乗降場所に着くまでにも時間を消費してしまいます。
今年もまた,さまざまな課題が浮き彫りになりました。
来園者数が増えればいいでかたづけられる問題ではありませんね。

さて,新居に引っ越したチンパンジーたちです。
引っ越してからすぐにあたかも昔からそこで生活していたかのように馴染んでしまいました。
たくさんの不安があったのですが,正直,拍子抜けするくらいでした。
そして,前は檻越しに覗くと,扉を叩いたり大きな声を張り上げたり,
水をかけてきたりと大騒ぎをしたのですが,それもすっかりしなくなりました。
こっちの存在は分かっているのですが,餌を食べたり,寝たり,遊んだりと
僕らを意識することなく生活をするようになりました。
チンパンジーたちが気に入ってくれたようなので,まずは合格点ですかね。

一方,お客さんはどう見ているでしょう?
ちんぱんじー館は,ペンギン,アザラシのように比較的短い滞在時間で
感動してもらえる施設ではありません。
個体同士の関わり合いや個性などをじっくりと観察して欲しいと願い,建築しました。
お客さんの意識の持ち方や期待の仕方で評価が大きく分かれているでしょう。
自分自身は,今まで彼らを真正面から間近に観ることができなかったので,
それができたことだけでもとても満足しているのですが…。

2006年8月28日月曜日

チンパンジー日記 1 (平成18年8月)

さて,皆様夏バテなどしてないでしょうか?
この号が届く頃にはチンパンジーの森は無事にオープンしているはずです。
というのも今はまだチンパンジーの引っ越しもしていないからです。
引っ越しまでの総点検が明日で明後日引っ越し予定です。
はたして気に入ってもらえるのでしょうか?
オープンまであっという間のようでとても長い日々が続きそうです。

チンパンジーと言えば僕には苦い思い出があります。
もう十数年も前のことなのですが,チンパンジーの飼育の代番をしていたときのことです。
当時,うちの群れのリーダーのキーボは調教していた時代のなごりの鎖の首輪をしていました。
担当者は群れの中に入れるのですが,首輪の鍵が錆び付いていて
取ることができなくなっていました。
お客さんに「鎖の首輪でかわいそう」とか「きっとどこかに繋ぐんだよ」とか言われることがあって
「どうにかしなきゃ」って話していました。
当時,僕は獣医としても自信がつきかけていたころで,吹き矢での麻酔も
我ながらうまくなっていました。
「麻酔してはずすしかないね」と話していたものの,キーボは麻酔をかけたことがなく,
なんとなく実行しきれないでいました。

何がきっかけだったか忘れたのですが,自分が代番の日に「首輪をはずそう」と思い,
ひとりで麻酔をかけようと実行しました。
キーボだけを放飼場に出さずに麻酔をかけようと吹き矢を撃ちました。
一発目はキョトンとした顔をして見ていたのですが,弾が当たった瞬間に顔つきが変わりました。
最初は恐れの表情で次に怒りの表情に豹変しました。
穏やかな状態であれば麻酔がかかる薬量でしたが,全く効く気配がありません。
ここでやめるわけにはいきませんので,2発目,3発目と撃ちました。
キーボは完全に切れた状態で,すざましい形相で僕に向かって
檻越しにアタックをかけてきました。
檻が壊れるのではないかと思うほどの暴れようでした。
結局,致死量に近い麻酔薬を撃ったのですが麻酔は失敗に終わりました。
チンパンジーは時に狩りをする肉食動物としての一面があります。
あのときのキーボの形相はまさに肉食獣のものでした。
今でも忘れられません。
次の日から僕はチンパンジーを全く制御できなくなり,
飼育係としては悔しさを通り越したことなのですが,
代番を降ろしてもらったという苦い経験があります。
結局,別の麻酔法で首輪を取ることはできましたが,
キーボは十数年経った今でも僕には気を許してはくれません。 

キーボも初老を迎え,もうすぐ38才になります。
あのころに比べると二回りくらい小さくなったように思えます。
決して広いとは言えない建物でしたが
30年間を過ごした我が家を後にして新居に順応できるでしょうか?
気に入ってくれるでしょうか?

追伸
キーボを始めチンパンジーは7月19日,20日に新居に引越をしました。
新居での生活への適応は驚くほど順調で,拍子抜けするほどです。
まるでずっと前から居たようです。
キーボは僕の手から食べ物を受け取りました。
僕に対して威嚇することもなく僕に挨拶までしてきます。
新居に引っ越して,まるで「昔のことは水に流したよ」とでも言っているようでした。
8月5日,チンパンジーの森は無事にオープンできました。
新築の家なので,まだまだしっくりときませんが,
時間をかけてチンパンジーにも来園者にも快適な家にしていきたいなと考えています。

2006年7月28日金曜日

個性 (平成18年7月)

動物には種としての習性,性質とさらに個性があります。
昨年の秋に生まれたカピバラの仔の一頭が親に育てられたにもかかわらず,
ヒトに対して警戒心がないのです。
むしろ,積極的にヒトのそばに来てひざの上にまで登ってきます。
「おまえは野性では生きていけないね」と思います。
でも,野生下でもきっと個性は大切だと思います。
もしも環境の変化が起きた時,警戒心のなさが新天地での適応能力になるかも知れません。

ライオンの仔が4頭生まれた時がありました。
あろう事か全部雄でした。
外見からは見分けられなくても,性格で見分けることができます。
2頭はとても気が強く,檻越しに覗くと一丁前にこちらに牙をむいてきます。
1頭は2頭の陰からこちらの様子をうかがっています。
最後の1頭は母親の後に隠れてしまいます。

ライオンの雄の子は生長すると群れ(プライド)を追い出されます。
子別れです。
気の合う数頭が行動を共にして,他のプライドの雄を追い出し自分のプライドを持ちます。
気が強い2頭はきっと自分のプライドを持てるでしょう。
でも気の弱い2頭は,自分の居場所を生まれ故郷では確保できず新天地に出て行くでしょう。

強い個体は,もしも環境が変わっても執拗に自分が獲得した縄張りに固執し,
少なくなった獲物を誰にも渡すまいとするでしょう。
その結果,死を迎えるかもしれません。
新天地にさまよった2頭が無事に生きていたら,
その2頭がライオンという命を受け継いでいくことになります。
気の弱さが情けなく見えるのはある基準から見てであって,
環境が変わったり,違う基準で見ると長所にもなります。

運動会シーズンが終わりました。
大きな都市などで,徒競走など順位が着く種目をやめたところがあると聞きます。
「順位は優劣をつけることになる」はたしてそうでしょうか?

勉強でも科目によって得意不得意はあります。
身体能力も含めてすべて個性なのではないかと思います。
個性の目を潰してしまっているのではないでしょうか。
一位には一位の価値が,同じように六位には六位の価値がきっとあると思います。
大事なのは親や先生が結果をどのように受け止めるのかではないでしょうか。
将来の受験や,社会に出てから競争はあります。
その場だけを丸く収めるような方法が僕にはいいとは思えないのですが…

2006年6月28日水曜日

キリンその後 (平成18年6月)

キリンの名前は東山動物園でつけて頂いたのと同じ「マリモ」で決定しました。
旭川らしいではなく北海道らしい親しみを持てるいい名前ですね。
旭山動物園もいつの間にか旭川のというよりも
北海道の動物園として見られるようになり,
そのことを改めて実感する愛称です。

「マリモ」は名古屋の東山動物園から,
頭がつかえない高さ約3メートルの箱に入れられ,
トラックに乗って運ばれてきました。
ゴー,ストップが出来るだけないように
高速道路と船を使い,やってきました。
立った状態で手すりにつかまらないで
バスに乗っている自分を想像してみてください,
一般道を走るとマリモが疲れてしまいますよね。
動物園に到着してまず寝室に収容しました。
寝室に慣れさせ,食欲が安定してから放飼場に出す予定でした。
キリンも野生動物ですからヒトになついたりヒトに依存したり,
しつけが出来るわけではありません。
僕たちは,あくまでもまりもが自主的に放飼場に出てくれるように,
そうしたくなるように工夫をするのです。

キリンは見た目の印象とは異なりとても神経質な動物です。
新天地に来て最初の数日間がとても大事です。
ところが,マリモはとてもおっとりしていて,翌日には食欲も出て,
寝室では妙にくつろいで見えました。
「これは意外と早く旭山に馴れてくれそうだ」と思いました。

数日間寝室で過ごし,そろそろ放飼場に出そうと扉を開けました。
ここからが誤算でした。
初めて見る景色,そして初めて間近で見たであろうカバの姿。
特にカバが彼女の気持ちを不安なものにしたようです。
お化け屋敷で何かが怖いと思うと
何でもないものでも怖く見えてしまいますよね。
マリモもそうでした。
不安が募るといても立ってもいられなくて走り回ります。
前回も書きましたがこれが一番危険な状態です。
これはマリモに自分で解決してもらわなければいけません。
ということで5月半ばを過ぎても
朝から夕方まで放飼場に出しておくことが出来ませんでした。
ちょっと意外な一面でした。

6月に入りマリモは旭山の環境にも慣れてきました。
開園時間中は放飼場に出ていても落ち着いているようになりました。
野生種の動物は種としての習性や性質が
とても大きな部分を占めています。
でも,よく観察すると個性があります。
身体能力にも差があります。
同じ種でも個体によって飼育しやすいものと手こずるものがいます。
差があるとすぐに比較をして優劣といったレッテルを貼りたがりますが,
これはある特定の基準から見てであって
見方を変えれば長所かもしれません。
マリモはちょっと臆病で放飼場に慣れるまで時間はかかりましたが
マリモにはマリモのペースがあります。
でもこの臆病で慎重な性格がきっといつか役に立つ時があるでしょう。

2006年5月12日金曜日

ドラマが旭山動物園にやって来た!!!

旭山動物園のドラマが放送されます。
ドラマの展開は基本的には事実を基にしているのですが,
そこはまぁドラマなのできっと感動の場面が用意されていることでしょう。
でしょう,と書いてしまいましたが実は僕は製作発表に行って来ました。
ですが,ドラマとして見ていなくて,「この場面は本当はこうだった」とか
「この動物は旭山にはいない」なんてところばかり気になって,
あれよあれよで試写会は終わってしまったのでした。
マルミミゾウのナナが写っている場面が多く,とても切ない気分になり,
あらためてその存在の大きさを実感しました。
ゾウとキリンは子供たちにとって,生き物に興味を持つ玄関口みたいな,
とても大きな存在だと思うので,ナナの死は残念でなりません。
奇跡の動物園,カリスマ的な人気動物がいなくてもたくさんの人を魅了できる。
本当は,旭山動物園が凄いのではなくて動物たちが凄いのです。

ドラマが放送されることにまだ実感がわきません。
いつの間にか本当に全国区の動物園になったんだな,と感じています。
ドラマに出演された俳優の方々,スタッフの方々,
皆さんとても真剣に旭山を理解しようとしてくださり,
何回も何回も事実や考え方,せりふの良し悪しなどの確認をとっていただきました。
「こんなに時間をかけるのか!」と驚きました。
動物園も映像も「伝える」という点では目的が一致しています。
「伝える」ための努力,真剣な取り組みがあって初めて人の心をつかめるのかもしれません。
ドラマの真剣勝負の撮影現場を見ていて,小手先だけではいけないんだと,
改めて自らに言い聞かせていました。

ドラマになる,入園者が日本一になる,有名になることがゴールではありません。
ドラマを製作された方々もそんなことは望んでいないと思います。
これからも前を向いて走り続けること,
ドラマを作ってもらえたことを励みにして先に進みたいと思います。

2006年5月3日水曜日

キリン (平成18年5月)

待望のキリンの来園,
くもざる・かぴばら館での悲しい事故の後に生まれたカピバラの子供,
飼育係の介添えで育児に成功したチンパンジーのチロの子供,
無事にデビューをしたでしょうか?
今は夏期開園前のドタバタの最中です。

キリンは名古屋市東山動物園で昨年3月30日生まれの雌1才です。
1才と言っても頭までの高さは3メートル近くあります。
なんせ生まれた時点で180㎝あるのですから。
タミオが死んでから2年近く経ちました。
主のいない寝室,展示場は時が止まったままのような寂しさがありました。

キリンは見れば見るほど不思議な生き物です。
横方向よりも高さの方がずっと高いので脚立のようです。
バランスで立っているようなものなので,一本でも足を痛めると致命的です。

昔,春に生まれた仔が初雪の日に親と一緒に外に出てしまったことがありました。
急いで掃除をして寝室に入れたのですが,ほんの少し右後肢を引きずっていました。
おそらく初めての雪に足を滑らせたのでしょう。
次の日,右足を地面から浮かせていました。
そして次の日,右足をかばうことで左後肢も痛くなり,
バランスをとるために,頭を地面に着け前足とで3点倒立のような状体になっていました。
結局,起立不能となり死亡しました。
解剖してみると,右後肢の股関節部にごく小さな出血痕を認めました。
「こんな小さな捻挫程度のことで…」と愕然としたことを思い出します。
原因としてキリンは皮膚が硬く,遊びがないということがあります。
まるでピチピチのウェットスーツを着たような感じです。
キリンは頭まで血液をポンプアップするために血圧が高いのですが,
皮膚や血管がブヨブヨでは頭に血を上げるどころか血管が破裂してしまいます。
でも,皮膚が硬いとちょっとした捻挫でも腫れることで熱や痛みを外に逃がすことが出来ません。
腫れや痛みも筋肉組織の内部にこもります。
ちょっとした捻挫や打撲が致命傷になってしまうのです。 

楽しくない思い出が一番に頭に浮かんでしまいましたが,キリンがいない間,
他の動物園でキリンを見るたびにキリンがいないことを思い出しドキッとしていました。
キリンが運ばれてきてこの個体が旭山のキリンになるんだと思うと,とても嬉しくなりました。
「器量,スタイルもいいし,落ち着いている性格も申し分ないな!」と
早くもみんなに自慢したい気分になりました。


追伸(5月14日)

キリンはまだ本格的に放飼場に出ていません。
一部新聞等で「ひきこもり」とおもしろ半分で紹介されました。
これから新しい環境に馴れていく過程で,ちょっと時間が掛かっているだけです。
別に「ひきこもり」ではありません。
キリンは20年くらいの寿命があります。
初めてこのキリンを見た子供が成人になっても生きていることになります。
今あせって,転倒などの致命傷になりかねない事故を起こしたくはありません。
このキリンは成長して大人になり沢山の子を産んでくれるかもしれません。
そして年老いて次の代に命が引き継がれていくことでしょう。
このキリンの成長を見ながら,たくさんの子供たちにも成長して欲しいな,と思います。
もう少し時間を下さい。 

2006年4月28日金曜日

動物園の役割とは? (平成18年4月)

さて,もうすぐ春ですね。
冬の間から園内では沢山の工事が行われていたのですが,
今年は雪解けも早く工事関係の方にはありがたい年だったのではないでしょうか。
もちろん雪解けが早いことがいいことばかりではないのは承知しているのですが…
ペンギン散歩も早く終わったし。

先日,名古屋で動物園の役割を科学するという研究会があり,参加,発表してきました。
動物園には娯楽,教育,研究,保全の4つの役割があると言われていて,
4つの分野について討論をしようという主旨の研究会でした。
僕は娯楽と言うか,憩いの分野で行動展示の効果という題で話をしました。
それぞれの分野を専門として独立した施設は研究所や学校と言ったようにあるわけで,
ではなぜ分業ではなく動物園として4つの役割があるのか?
それは対象としている動物たちがいかに素晴らしく尊いものであるかを
伝えられる場であるからだと思います。

素晴らしく尊いもの,命を通しての教育,研究,保全であり,
研究,保全の対象がここにいる尊い動物たちのためであることを
具体的に理解してもらえる場であり伝えられる場であるからこそ,
動物園には4つの機能,役割が求められるのではないでしょうか。

娯楽,レクリエーションなど言い方はさまざまですが,
僕の中では動物のいる空間の居心地の良さであり,
動物たちの尊さを感じてもらうことです。
僕はこの部分が動物園にとって最も大切なことでベースだと思っています。
芸やショーで来園者の気持ちを引きつけていたのでは,
教育,研究,保全すべての必要性,重要性,価値を認めてもらえないし,
将来に向かっての動物園そのものの存在意義が見えてこない気がします。

僕たちは自分たちが動物との関わりの中で知ったことを
いかに来園者に還元できるのかを基本に考えています。
僕たちが飽きることがない動物たちはありのままの彼らです。
ですから,ありのままをありのままに伝える方法として
「行動展示」と呼ばれるようになった見せ方を考え出しました。

ペンギンの散歩,
いつも沢山の来園者でイベントのようになってしまいましたが,
さえぎる柵のない空間で観る彼らの姿を観てほしくて,
可愛いだけではない彼らを観てほしいと思いました。
「目つきが怖い」「くちばしが鋭い」「足がでかい」「凛々しい」…
何かひとつでもありのままの彼らを見つけてもらえればと願っています。
カメラを構えて記録に残すことだけに専念する人が多くてちょっと残念です。

入園者数を記録的に伸ばした旭山動物園,
北海道有数の観光施設,
それは僕たちにとって旭山動物園の本質ではありません。

2006年3月28日火曜日

ビーの引退 (平成18年3月)

「こども牧場」の看板を背負って頑張ってきた
ビーグル犬のビーが2月19日を持って引退しました。
今年で14才。
元気はあるのですが,数年前から患っている椎間板ヘルニアに起因すると考えられる
腰痛の発作が数回あり,今年に入ってからは両後肢がほとんど麻痺してしまうほどの
大きな発作を起こしました。
内科療法で順調に回復しているのですが,
もう,自由に外を走り回らせたり,たくさんの人にふれあったりは出来ないと判断しました。
視覚,聴覚の衰えに加え,イヌ同士レトリバーのチャンティとの関係も微妙で,
体格が大きく,やんちゃでやきもち焼きのチャンティに常に気を遣い,
「気づかれ」の負担も大きくなってきていました。

思い起こせば平成7年の春に資材置き場になっていた小屋を改造し,
道内の動物園などの好意で譲り受けたカイウサギやモルモット,ヤギにヒツジを飼育し
「ふれあい牧場」を始めました。
「施設は古いし,ふれあえる動物もいないの!」そんな言葉をずっと耳にしていたからです。
20年近く前から幼稚園児等を対象としたガイドは行っていたのですが,
「生きていること」を感じてもらうには「ふれあう」ことがとても大切です。
ガイド用に,越冬舎や入院室でウサギやニワトリ,クサガメなどを数匹ずつ飼育して
対応していました。
ふれあうことから始まること,温もり,肌触り,
自分の思い通りにはならない感情のぶつかり合いなど,
言葉では得られないことがたくさんあります。
子供たちの表情を見ていると動物園は「命を伝える」場なのだと強く感じていました。

平成9年度,新しい「こども牧場」が出来ることになりました。
当時,好意で譲り受けたのがビーでした。
それまで室内犬として飼われており,動物園の環境に慣れるまでは大変でした。
たまに担当者が家に連れて帰ると,反動なのかわがまま放題になり甘えていました。
来園者が年間数十万人だった数年前までは,結構のんびりと過ごす時間もあり,
土曜・日曜くらいが「ビーも今日は頑張って仕事したね」でした。
しかし,ここ数年は毎日が祭日のようになり,
ビーはひたすら「耐える」あるいは「無関心を装う」ようになりました。
来園者から「こんなにたくさんの人の中,ちょっと可哀相なのでは」
とのご指摘も受けるようになりました。

「こども牧場」は旭山動物園再生の原点,ビーは看板犬でした。
一度も来園者に対し,うなったり,噛みついたりといった事故もなく,
休日もなく頑張ってくれました。
月日の経つのも忘れる日々が続いていますが,
いつの間にかビーはおばあちゃんになっていました。
ゆっくりと休ませてあげたいと思います。

2006年2月28日火曜日

ちんぱんじー館 構想 (平成18年2月)

新年早々,ドブラのロミが死亡しました。
ロミは父親が家畜のロバ,母親が野生種のシマウマの異種間雑種でした。
昭和45年生まれ,35才の大往生でした。
いつの間にか昭和42年の開園の頃から飼育している動物は,
カバのゴンとザブコ,アネハヅル1羽,ミシシッピーアリゲーター1頭だけになってしまいました。

ロミはとても気弱な面があって,何か具体的に頼るのではないのですが,
いつも他の個体に寄り添っていました。
生まれてからしばらくは父親であるロバに,その後はポニーに,
そして最後はフタコブラクダでした。
ロバでもなくシマウマでもなくその一生を終えました。
自然界ではあり得ない組み合わせでの誕生でしたから,
意図的に掛け合わせたわけではないにしろ,
今思うと旭山として決して自慢できることではありませんでした。

もう一つ,ビーグル犬の「ビー」。
旭山動物園再生のスタートである平成9年にオープンした「こども牧場」の
マスコット的存在として今まで頑張ってきました。
現在,約15才。
今年に入り急激に聴覚・視覚が減退し,運動失調も顕著になってきました。
顔も真っ白になり,もうおばあちゃんです。
もう,たくさんの人とのふれあいは負担が大きすぎます。
この手紙が届く頃には現役を引退をして,のんびりと余生を過ごしているかもしれません。

さて「ちんぱんじー館」です。
本格的な工事が始まりました。
いよいよ正念場です。
非常に厳しい財政状況の中で建築させていただくので
「建ててよかった」と言っていただけるものにしなければいけません。
次につながるものにしなければいけません。
今回,僕の中での大きなテーマは「不安定」と「好奇心」です。

サルの仲間は樹上を生活の基盤にしていますが,体の使い方は種によって様々です。
チンパンジーは両腕だけで枝にぶら下がるブラキエーションという行動ができます。
動物園でチンパンジーの動きを観察していると,
高いところでも地上と同じように構造物の上をナックル歩行で歩いている姿を頻繁に見ます。
ナックル歩行とは地面を歩く時に両手をグーにして地面につける歩き方です。
どうしてか?
地上10メートル以上の遊具を作るとなると,とても頑丈な安定した構造物となります。
高いところを怖いと思わないチンパンジーですから,
地上と同じようにナックル歩行になってしまうのです。

本来の樹上であれば木は揺れます。
そうすると必ず握る動きになりブラキエーションへと移行するはずです。
ロープを張って「ぶら下がる」のではなく,
構造体自体にぶら下がる動きを引き出す仕掛けを取り入れたいのです。
技術的に「不安定」な構造物が作れるのか,第1の課題です。

次に不安定な構造物が出来ても,利用されなければ意味がありません。
安全が保証されているので,地上でゴロゴロしている方が楽に決まっています。
どうやって高い場所に行きたくなるようにさせるか?
チンパンジーにヒトを観察させよう!
これが第2の課題「好奇心」です。
あっという間に夏が来そうです。

2006年1月16日月曜日

ドブラ逝く (平成18年1月16日)

1月14日,うちの最古参組の一頭,ドブラのロミが老衰による呼吸不全で死亡しました。
1970年6月9日生まれ,35才の大往生でした。
ドブラ!何それ???と思われる方も多いかと思います。
ロミは父親がロバ,母親がグラントシマウマ,つまり異種間の雑種だったのです。
由来はロバはドンキー,シマウマはゼブラなので父親の種名を先頭に合成したものです。
ドンキーの「ド」とゼブラの「ブラ」で「ドブラ」です。

ロミ誕生の少し前の時代,ネコ科動物を主に異種間の雑種が
どこまで出来るのかを検証することがブームになった時代がありました。
レオポンとかライガーなんかが超有名でしたね。
なぜ雑種を作るのが流行ったかというと,
当時の種の定義では「掛け合わせても子供が生まれない」というのがあって
別種のライオンとトラの間で子供が出来たことが衝撃的で
いろんな掛け合わせが行われたようです。
あまりにもいろんな組み合わせで子供が出来たので
種の定義のひとつとして「生まれた子が繁殖能力を持たない」となり,
現在ではそれすらも覆りつつあります。
本州で外来種として問題になっているタイワンザル,
日本古来の在来種ニホンザルとの間に雑種が生まれ,
雑種の個体がさらに繁殖をしています。

さて,ロミ誕生物語です。
当時うちにはグラントシマウマが1ペアーと
「小驢(しょうろ)」と言われる小型のロバの雄が1頭同居していました。
シマウマの腰の高さは約100センチメートル,ロバの腰の高さは約60センチメートルでした。
ウマの仲間の交尾は,「立ったまま」行われます。
ですから腰の高さがあまりにも違うシマウマの雌とロバの雄の間に
仔が生まれることはあり得ないはずでした。

生まれた仔を見て誰もが自分の目を疑ったようです。
「どうして…」シマウマの雄は何をしていたのかはさておいて,
どのように交尾が行われたのかを解明するために入念な現場検証が行われました。
その結果,「放飼場に地面から30センチメートルほど盛り上がったマンホールがあり,
ロバがそのお立ち台に乗り交尾が成立した。」か,
「シマウマの雌がプールの中に入りロバが一段高い水際に立ち交尾が成立した。」
の2説が有力とされました。
しかし,シマウマがプールに入ったのを誰も見たことがなかったので,
マンホール説が最有力となりました。
さらに付け加えるとロバのペニスは体の大きさに比して
とても長いことも大きく影響したと分析されました。

ロミの場合,おそらく繁殖能力はないであろうとされています。
このような個体は一般的に短命で終わるのですが,ロミはとても長生きをしました。
ロミは旭山動物園の最近の激変をどのように観察していたのでしょうか?
もう少し見ていて欲しかった気がします。

2006年1月2日月曜日

「2006」 年頭に

あけましておめでとうございます。
年々,正月の三が日も特別な日ではなくなってきていますね。
うちも2日から営業開始です。
当然,飼育係に正月はないのですが,
昔は大晦日ともなれば町の明かりは消えて元旦の出勤時は人の気配すらなかったものです。
自分は「頑張っているんだな」なんて自己満足に浸っていた頃が懐かしいです。
日本は生活風習や伝統をどこまでなくしてしまうのでしょう?

今年の冬,旭山の冬の風物詩として定着した感のあるペンギンの散歩,
これに合わせて沢山の方が来園されるようになりました。
12月は前の年の同月比でなんと300%にもなりました。
でも,聞かれるのは
「中に人間が入っているみたい,かわいい~」「どうやって馴らしたの?」
「ヒナは行進させないの?」「散歩のご褒美は何?」といったことばかりです。

ペンギンがヨチヨチした生き物なのは陸上に天敵のいない地域で進化した結果です。
陸上にいる生き物に対して警戒心がとても弱いのです。
そして集団で海まで歩き,エサを捕ったらまた歩いて帰ってくる習性があるのです。
ありのままをありのままにさせているだけなのです。
だから散歩なのです。
一切調教や制御はしていないのです。
音楽を鳴らしたり,着ぐるみを着た人が先導をしたりと
意図的に付加価値をつけてパレードやショウに仕立て上げている様子を見ると悲しくなります。
どうして自分たちの価値観の範囲内でしか動物を見せようとしないのでしょう,
見ようとしないのでしょう?
ありのままがいかに美しく尊いのかを感じて欲しいと願います。
新たな価値観を見いだしたり,見方が生まれてきて欲しいと願います。

ヒト以外の生き物は「今以上」を求めません。
ヒトだけは常に「今以上」を求め続けます。
その結果,地球上の原子や分子の総量は変わりませんから
ヒトや自分たちだけのためのものがあふれかえり,ヒトのため以外のものは減り続けています。
そして,ヒトはいらなくなったものを無責任に地球上にばらまいています。
地球がヒトのわがままをこれ以上受け入れられないところまで来ています。
きっと気象異常や動物たちの惨状を伝えるニュースが増えるでしょう。
その時「今がよければいいじゃない,可愛いんだからいいじゃない,
飽きたら次を探せばいいじゃない」。
今の価値観で地球を生き物たちを守れるのでしょうか?
都合が悪くなると誰かが何とかすればいい,そんな程度にしか感じないのではないでしょうか。
動物たちそれぞれの素晴らしさ,かけがえのなさがたくさんの人の心に刻まれること,
それがそれこそが地球を生き物たちを守る原動力になるのだと思います。
知らなければ守れない,何も感じない。
だから動物園は必要なのではないでしょうか。
守るのも滅ぼすのもヒトなのですから。

昨年暮れ「レッサーパンダを飼ってみよう」といった主旨の番組を見てしまいました。
ペットのように手なずけて飼う,あり得ない番組です。
彼らはヒトのための動物ではありません。
サンタの服を着せられたペンギンやアザラシが新聞で紹介されていました。
みなその時だけのウケを狙った確信犯に思えます。

日本人は山に風に木に生き物に神を感じ自然と共に生きてきたはずです。
それはかわいらしさや仲良くではないお互いを認め合う「調和」だったはずです。
科学的ではなかったかもしれませんが,誇れるものだったと思います。
西洋的な合理的,科学的に管理する,支配するといった精神とは違ったものでした。
今の日本は生活がどっぷりと西洋的になり
いつの間にか曖昧な感情だけが残った結果なのでしょうか。 

動物園に限らず,将来に明確な夢を持って,
今がそのための方法であり手段であって欲しいと願います。
今の子供たちの将来のため,未来の地球のために…

旭山の今年のテーマは「感じて 野生」です。信じることを続けるのみです。

2006年1月1日日曜日

野性の本質 (平成18年1月)

また新たな一年が始まりました。
昨年は入園者の増加とは裏腹に,何か晴れ晴れとしない一年でした。
誰のための動物園?何のための動物園?
僕たちの思いとは別の方向に向かっていきそうでとても心配です。
まぁ僕たちが今までのスタンスを守ること,
軸をぶらさないようにすることが一番大切なことなので,
焦らずにやっていこうと決意を新たにしています。
あくまでも旭川,北海道に根を張った動物園であり続けたいと思います。

さて,昨年は複数の動物園で飼育係の人身事故が起きました。
ツキノワグマ,ヒグマ,ホッキョクグマ,ゾウ,どれも痛ましく悲しい事故でした。
当園でも3年前にトラによる事故がありました。
よく聞かれるのが
「飼育している動物が人を襲うなんてどんな飼育をしていたんだろう」
と言った言葉です。

動物園で飼育している動物は野生種ですから
他種の生き物を信用し従順に従うことはありません。
共存していても「仲良く」ではありません。
それは動物園で生まれ育っていてもです。

我々飼育係との基本的な関係はあくまでも檻越しの関係で,
その中で「ルール」ができています。
ですから我々は動物の気持ちをどこまで理解してあげられるかが重要で,
決して完全に制御し,言うことをきかせようとは考えないのです。
飼育管理上の必要があってゾウに「待て」をさせるのと,
ペットのイヌに「待て」をさせるのは全く別次元のことなのです。

例えば檻越しにホッキョクグマと対面します。
近寄りすぎるとクマは檻の隙間からこちらに手を出して威嚇してきます。
でも,僕はクマの側に手を入れることはできません。
どちらが精神的,肉体的に優位なのかは歴然としていますね。
それをふまえた上での関係なのです。
事故は扉を閉め忘れるといった「ルール」が破られた時に起きます。
たとえ20年飼育していた動物でも一回の「ルールを破る」ミスを見逃してはくれません。
何らかの理由で我々がルールを破ったのだから
事故があってもその動物を処分するという発想にはなりません。

だからといって飼育係と動物は常に警戒しあっているのかといえばそうではありません。
お互いを認め合う中で飼育しています。
僕たちは動物たちを敬愛しています。
知れば知るほど凄い命たちです。

そうですね,今年のテーマは「野生を感じて!」でいきましょうか。