2014年12月21日日曜日

冬が大好きなレッサーパンダ (平成26年12月)

さて今年も気づけば師走です。
毎年のことですが、あれもう来年!そんな感じです。
今年を総括すると、動物園らしい賑わい、動物園らしい落ち着き、だったでしょうか。
団体客が減る一方で、それを上回って一般客が増えました。
団体のバスは同じ時間帯に集中するために、時間に縛られたお客さんが我先にと
園内を慌ただしく動き回ることが往々にしてあったのですが、その慌ただしさがなくなり、
自分のペースで過ごすお客さんが増えました。

平成9年から始まったリニューアルも一段落し、改めて思うのは、
旭山動物園は公立だったからこそできた動物園なんだなと言うことです。
どん底の時代、入園者数を増やすという視点ではなく、足を運んでくださった方に、
つまらないではなく、凄い、すばらしいと感じてもらうにはという視点で
ワンポイントガイドを始めました。

金銭的な視点ではなく、自分たちの知ったこと感じていることを
来園者に還元するという視点からスタートしたこと、
もう一点はお役所でありながら、来園者と真剣に向き合ったこと、だったように思います。

数字は結果であり、目的ではなかったことが、旭山動物園が唯一無二の動物園になれた
原点だったのだと思います。
これからも山あり谷ありなのでしょうが、この視点だけは見失わないように
進んでいきたいと思います。

さて、冬に活発といえば、レッサーパンダですね。
夏は木陰で休むことが多いのですが、冬は雪まみれになって走り回りじゃれ合います。
厳冬期が恋の季節でもあります。
レッサーパンダの仕草はいちいち愛らしく、どこか無防備です。
飼育下生まれだからと言うことではなく警戒心よりも好奇心の方が勝ってしまうような感性、
感覚を持っています。
彼らの棲息地はなんておおらかな懐の深い自然なんだろうと想像してしまいます。 

今年も7月27日に赤ちゃんが生まれ、10月の末にやっと放飼場デビューしました。


まだまだ動きはたどたどしく、離乳も始まったばかりという感じです。
見た目は、ずんぐりむっくり、クシャッとした顔、
円錐形のとってつけたようなしっぽ、たどたどしい仕草…
じっとしていたら間違いなくぬいぐるみと間違われて持って行かれそうです。

これほど可愛いの方程式にはまった動物はいないのではないかと思えるくらいです。
大人の食べる竹を見よう見まねで口にするのですが、まだまだしゃぶるのが精一杯です。
食べていいものの味を覚え、木の登り方、降り方を覚え一冬かけて一人前になっていきます。

動物たちは淡々と毎日を過ごしています。
ヒトは慌ただしく師走を過ごしています。
ふと動物に戻りたくなります。 



※7月に生まれたレッサーパンダの子(メス)の名前は
「友友(ヨウヨウ)」です。
これからもよろしくお願いします。

【しいくのぶろぐ】
http://asahiyamazoo1shiiku.blogspot.jp/2014/12/blog-post_10.html

2014年11月17日月曜日

雌カバの名前は「旭子」に決定! (平成26年11月)

今年は10月に入り近年になく気温の低い日が続いています。
思い返すと昔はこんなもんだったようにも思います。
10月下旬の第3日曜日が閉園日だった頃、
雪の閉園日ということもありましたからね。

今年は冬タイヤへの履き替えも早めにしなければいけないのかな、
なんて思っています。
地球規模での気温上昇と同時に、気候の不安定化や、
局所的な寒冷化も言われるようになりましたが、
北海道は特に冬の厳しさは昔以上になるのかもしれません。

昨年から予定していたアムールトラのペアが、
やっと無事にアメリカからやってきました。
どちらもすでに若いけれど、立派な成獣の年齢での来園でした。
新しい環境に慣れる柔軟性という点で、
時間がかかるかなとは思っていましたが、
やはり、特にメスが未だに落ち着きません。
寝室を安心できる場所と認識してもらわないと、
屋外放飼場に出すことができないのですが(寝室に入ってこなくなるため)、
長期戦になりそうです。
ペアリングもまだまだ目処が立ちません。

さて、メキシコからやってきた雌カバの愛称が決まりました。
仮称「カバ子」と呼んでいましたが、やっと「旭子」と呼べます。
アサ子?昔いなかったっけ?そう思った人も多いのではないでしょうか。
実は2頭いました。

漢字か、カタカナか、ひらがなか、厳密には定かではないのですが…。
アジアゾウのアサ子と、エゾヒグマのアサコです。
どちらも旭山動物園が開園した翌年の昭和43年から旭山で暮らし始め、
アサ子は平成9年に、アサコは平成11年に死亡しました。
2頭ともおばあちゃんだったのですが、アサ子はちょうど今頃の季節に
足の裏に小さなケガをしてそれがもとで起立不能となり死亡しました。
半年の闘病生活でした。

アサコは狭い「小獣舎」から現在の「もうじゅう館」に引っ越して、
運動量も増え見違えるほどたくましい体つきになったのですが、
ある日動けなくなりました。
大腿骨の骨折でした。
筋力に骨の強さが伴わなかったことが原因でした。

この2頭から教えられたことは数えきれません。
揺るがない存在としてのアサ子、アサコでした。

再整備の節目として完成したきりん舎かば館の、新たな命として来園したカバ。
このカバは百吉と共に、今の旭山の動物たちの誰よりも長生きをするでしょう。
他の動物たちの何代にもわたる営みを見続ける、
そして旭山動物園を見続ける存在になることでしょう。

旭山の旭子、改めてどうぞよろしくお願いします。
そんな気持ちにさせられました。
旭子の成長と共に旭山動物園も歩んでいきたいと思います。
いい名前をもらってよかったね、「旭子」!

2014年10月30日木曜日

カバのお嫁さんが室内プールデビュー (平成26年10月)

食べマルシェも終わりすっかり秋の気配です。
メタボ解消と戦いながら食欲の秋を迎えてしまいました。
食べマルシェでは3施設連携がきっかけで
武雄市からイノシシ丼のブースが出ていました。
なぜイノシシ?とふと興味がわきました。

武雄市では有害駆除したイノシシがゴミとして捨てられていたことに、
こんなことではいかんと、処理工場を建設し
どうしたらおいしくいただけるのかを研究したそうです。
死後30分以内の解体、3回の血抜き、熟成…。
大変な苦労でしたねと話してるうちに、実は北海道に何回も足を運び
エゾシカ協会を始め多くの方にお会いして勉強させてもらったのです。
愕然としました。
北海道に習い北海道を越えていた…。
行政が主体となり地元の味に育て、販路を開拓する。
その根底に命を粗末にしてはいけないとの理念。
う~ん、我々も頑張らないといけないとの思いを新たにしました。

さて、メキシコの動物園から来たカバのお嫁さん、
室内プールにも慣れ、旭山の一員になりました。
この号がでるころには可愛い名前をつけてもらっていることでしょう。
旭山に来園してからは寝室、寝室間の移動、
屋外放飼場と施設にも順調に慣れ、
いよいよ最後に室内放飼場そう室内プールデビューとなりました。
百吉の足を踏み外し芋虫がのたうち回るように
溺れ沈んでいく姿がどうしても頭をよぎります。
百吉は水底に着地した瞬間に何事もなかったかのように水面に向かい
見事なムーミンジャンプを決めました。
あの深いプールがカバ本来の能力を覚醒させたのだと我ながら感動しました。

でもふと百吉だからできたのかも…。
かば子(名前が決まっていないのでおい!と呼んでもしっくりこないので
暫定的にかば子と声かけをしています(^^;)」は
カバの中でも運動神経が鈍い方だったら、
かば子溺死!そんな見出しが頭をよぎります。
マイナス思考が先行してしまいます。
いざというときに救助できるよう潜水士の資格を持つ力持ち2名が
パンツ一丁で潜水道具、救助用のロープを用意し待機、
自分は海水パンツでシュノーケリングを用意し陣頭指揮。

いよいよかば子が室内プールに入りました。
ためらうことなく浅瀬から入水、水中を見回し、水中にダイブ!
それはまるでスローモーションのようです。
水底に着地し辺りを見回します。
息継ぎ忘れてないか?内心ドキドキです。
そして後ろ足で立ち上がるようにゆっくりとジャンプ。
水面に鼻を出し瞬時に息継ぎ、そして潜水。
なんと落ち着いた行動!またも取り越し苦労に終わりました。

今の心配は百吉の水中アクリルドームをかじる癖。
カバの前歯、犬歯は一生伸び続けるので
木などをかじるのは大好きなのですが、
何もアクリルドームでやらなくても…困ったもんです。

2014年9月30日火曜日

「ほたるのこみち」 の出発点 (平成26年9月)

お盆で帰省した方にもゆっくりとふるさとの動物園を
楽しんでもらおうと始めた夜の動物園、
最終日の15日、夜の部の一日の入園者数の記録を更新しました。
あの300万人時代よりも多くの方が訪れました。

ホタルの小道はさすがに行列が延びましたが、
園内にまんべんなくお客さんがいる状況で、
それぞれの施設を思い思いに見ていただけているのかなと感じました。
開園時間の急遽延長などバタバタしましたが嬉しい悲鳴でした。

そういえばホタルの小道のヘイケボタルですがどこから来てどうなるの?
と多くの方に聞かれます。
元々は夜の動物園が始まったころ、夜ならではのことをやろうと、
自分たちでホタルをほんの数匹採集してプラケースで見てもらおうと始めました。
実はヘイケボタルは身近なところにまだまだいると言うこと、農薬との関係…
お客さんと会話しながらガイドをしていました。
夜の動物園も多くの来園者が来るようになり、
数匹のホタルでは対応の限界を迎えました。
環境に負担をかけないように園内で繁殖させたホタルを見てもらうようにしようと
ホタルの繁殖に取り組みました。
ある程度繁殖は成功したのですが、幼虫の飼育温度環境が高くて
成虫のでる時期が6月から7月にかけてと
自然のリズムよりも早い時期になってしまいました。

本州にホタルの養殖業者があることは知っていたので
そこからの購入を検討しました。
自然のホタルを乱獲するのではなく、飼育下で何代にもわたり系代し
大量にホタルを発生させていました。
カブトムシの養殖業と同じです。
本州から購入してホタルを見てもらうことに決定しました。
ただし展示が終わったヘイケボタルは北海道のヘイケボタルと同じ種ですが、
発光パターン等が地域によって違うことが分かっているので
安易に北海道に持ち込んで自然に放してはいけません。

購入するホタルはほぼ全部雄で、
万が一にも周りに繁殖できる環境がない場所で展示することとしました。
購入しておおむね1週間ですべてのホタルの成虫の寿命は10日前後です。
夜の動物園が終わり数日ですべてのホタルが寿命を迎えます。

ホタルの小道では年配の方が昔はたくさんいたんだよ、
懐かしいねとの会話をよく耳にします。
小川、あぜ、田んぼ旭川の原風景は今でも健在なのに
なぜホタルはいなくなったんだろう?
そんなことをふと考えてもらえたらとの思いがホタルの小道の出発点でした。
今でも細々とヘイケボタルは生息しています。
昔のようにホタルと一緒に育ったお米を食べることができたら
どんなにすばらしいでしょう。
現代の技術の使い方を変えたら可能なのではないかと思ったりします。

旭川の夏の景色にホタルがいる、夢のある町になれそうです。

2014年8月30日土曜日

アミメキリン、マリモの死 (平成26年8月)

今年は、新たな命の誕生が続いていて、
9月にはキリンの誕生をひかえ、私たちも心待ちにしていました。
過去2回の失敗の反省をし、新しい施設での成功を目指していました。

マリモは右前足の蹄の形がやや片摩耗して変形していたのですが
これまでは特に悪化することもなく過ごしてきました。
昨年ころから変形が進行していたのですが、歩きにくそうにする
あるいは痛みを示す兆候はありませんでした。
靴の底が小指から踵にかけての側だけが
すり減った状態を想像してみてください。
足の底の面の傾きをくるぶしの関節で調整して
歩いているような状態だったのです。
今年の6月に入り蹄の底の傾きがやや大きくなり、
前足の私たちで言う手首の関節がやや外側に飛び出す形、
表現が難しいのですがO脚のような形になってきました。

そして6月下旬に関節の腫脹が始まりました。
キリンは脚立のように4本の足のバランスで立っています。
一本でもバランスを崩すと致命傷です。
8月下旬~9月の上旬に出産予定で胎児も大きくなり
母胎への負担も増してきます。
当然蹄を削って修正すればと考えるのですが、
キリンはとても神経質で警戒心の強い動物で、
マリモはヒトが近づくとライオンでも一撃で倒す
威力のある回し蹴りをしてきます。
当然麻酔をしてということになりますが、
麻酔を安全にかけるのが最も難しいのがキリンです。
麻酔がかかり倒れるとき、
麻酔から覚めてがむしゃらに立とうとするときの事故、
今回は出産間近の胎児がいること…
さらに一回の削蹄では解決しません。

麻酔は確率の低い一か八かに近い選択です。
マリモの状態は幸いに、
足をつけないなどの症状は伴っていなかったので、
胎児に影響しないように、
これ以上悪化しないような保存療法を選択しました。
投薬の効果があり腫脹は改善傾向で、
とにかく無事出産を目指していました。
ひとつ気がかりは雄のゲンキの態度でした。
マリモ依存症とでも言うのでしょうか、
とにかくマリモにまとわりつくのです。
首を打ち付けたり、体を預けたり、
マリモの足への負担を増す危険がありました。
マリモを隔離するとゲンキは放飼場を走り回り
ゲンキが転倒などの事故を起こしかねず、
同居をせざるを得ませんでした。

死亡当日、ゲンキがまとわりつく中、
マリモは右前足に負重することが困難な状態で
他の3本の足で体重を支えきれずに座り込むように倒れました。
ゲンキを寝室に収容しマリモのもとに駆けつけましたが、
首を持ち上げることもできず、吐いた物が気道を塞ぎ死亡しました。
解剖の結果、手首の関節面の骨折が認められました。
おそらく倒れる直前に右前足に過度の負荷が掛かる
何かが起きたと考えられました。

すべて結果論にしかなりませんが、残念でなりません。
北海道に行くからとマリモと名付けてもらい、
命をつなぐ環境が整い、これからという思いでした。
おそらくこの手紙が届くころには、
百吉のお嫁さんを迎える準備に追われていることでしょう。

毎日に悔いがなきよう前を向き続けていきます。

2014年7月30日水曜日

続く繁殖。子の成長を見に来て! (平成26年7月)

変な長雨が続いた6月でした。
オオカミ、タンチョウの子はスクスクと成長しています。
オオカミはまさに群れ全体で子育てをする姿が見られます。
役割分担、役割の奪い合い…見ているとそれぞれの個体の中で
たくさんのドラマが進行しているのだなと感じられます。
つくづく社会とは次世代を育むために形成されていることがよく分かります。

タンチョウの雛は体の成長に先行するかのように
足がとても太く指が長くなってきました。
翼はまだ手羽先状態です。
湿地で活発に動き回るためなのでしょう。
足だけを見ると愛くるしい雛の姿が想像できないくらいです。
でもまだまだ甘えん坊で、雨の日などは母鳥の翼に潜り込み
頭だけを出してあたりを見渡したりしています。
その姿がまた何とも言えず、見ている人の笑みを誘っています。

前回まだまだ続きますと書きましたが、
ホッキョクギツネとシロテテナガザルが繁殖しました!
ホッキョクギツネは5月18日に産声を確認していましたが、
地中におそらく迷路の方に張り巡らされたトンネルのどこかで
子育てをしていることしか確認のしようがなく、
巣穴から出てくるのを待つしかありませんでした。
放飼場を歩くにも地下のトンネルを崩したら大変なので
外周沿いに歩き水の交換や餌やりをする状態でした。
5月中旬頃から、あっちの穴こっちの穴から
モグラたたきみたいに子が顔を出すようになりました。
目撃情報でも頭数はばらばらで一体何頭いて、
無事に生育できるのが何頭か分かりません。
ねずみ色のつぶらな瞳の子狐です。

シロテテナガザルのモンローは初産です。
6月が出産予定でいつかいつかと
楽しみとちょっぴり不安のいり混じった気持ちで
見守っていたのですが、6月12日夕方近くに放飼場で出産しました。
見事に胎盤の始末もし、後ろ足を曲げて子のおしりを支えていました。
見守る僕たちをよそ目にいつもと変わらない
ダイナミックなブラキエーションを披露していました。
旭山のシロテテナガザルは雄は体毛が黒、雌が茶色です。
子供は茶色のようです。
しわくちゃな顔で両腕をしっかりと母親のおなかに回ししがみついていました。

新たな施設を建てることもこともワクワクすることなのですが、
やはりそれ以上に新たな命が誕生することの方が、
喜びや励みは大きな物があります。
たくさん生まれると、さてもらい手探しに一苦労などいろいろありますが、
その場所を生活の場として認めてくれたことが繁殖なので、
飼育冥利に尽きるのです。

子の成長は早いものです。ぜひ皆さんも一緒に見守ってくださいね。

2014年6月30日月曜日

タンチョウに続く繁殖は何でしょう? (平成26年6月)

無事に今年度の開園を迎えることができました。
ゴールデンウィークも好天に恵まれたくさんの来園者がありました。
きりん舎かば館も人気でした。

カバの百吉は午前中は屋外の放飼場です。
まだまだ成長期なので十分な日光浴も必要です。
ひなたぼっこをして、昼から室内の放飼場に移動します。
すぐにプールで遊び始めるかと思いきや…お昼寝です。
2時半頃まで、爆睡します。
そしていよいよ遊び始めます。
それにしても水中を動き回る百吉は
いつまでみていても飽きることがありません。
閉園後は寝室でたくさん食べて…また寝ます。
それにしてもメキメキ大きくたくましくなっていきます。
これほど全身の筋肉を使っているカバはいないでしょうから、
大人になったらどんなマッチョになるのでしょうか?
ゴンは日本で3本指に入る大きさでしたが、
百吉はどんな3本指になるのでしょうか?
今から成長が楽しみです。
もし昨年来た人が見たらびっくりな大きさになっていますが、
まだまだ子供顔の百吉です。
ぜひ成長を一緒に見守ってくださいね。

さて今年は私たちも楽しみがいっぱいありそうです。
繁殖です。
ニホンザルに始まりシンリンオオカミ、そしてタンチョウ、
タンチョウは過去2回卵の孵化までは成功しているのですが、
孵化後数日で死亡しています。
今のシロフクロウの展示施設での出来事でした。
雛の翼や足の末端がただれて壊死してしまい衰弱で死亡していました。
ネズミやシデムシ、栄養性の原因さまざま考えて対策をしたのですが
2年目も同じ結果でした。

新しい施設では外部からネズミなどが侵入できない構造として
繁殖を計ってきたのですが、無精卵が続きました。
いよいよ今年は1卵の有精卵が確認でき、皆密かに期待していました。
昔はなかった監視カメラも設置しました。
待望の雛が孵化しました。
雌が大事に脇の下あたりで抱いています。
問題はなさそうですが念のためにと担当者と獣医で
雛の体のチェックをしました…
なんと翼の指の先端がただれているではありませんか!

ビデオをチェックすると雌親が執拗なまでに雛の羽繕いをしています。
過去も疑ったのですがまさかと考えていました。
すぐに雌親を隔離して雄親に雛を託しました。
タンチョウは雄雌共同で育雛するので
雄も見事に雛の口元に餌を運び常に雛から目を離しません。
数日が経過し雛の翼には新たに羽毛が生えそろいました。
やはり雌親の過剰な毛繕いが原因だったようです。
雛も日中は活発に活動するので、日中は雌親も一緒にしています。
雌親に抱かれて寝てしまうと危険なので
夜間から朝にかけては隔離しています。
雌親もこのパターンになれてきました。
愛情がとても深いのですが、
雌親にこれはダメだよと教え込むのは難しいことです。
もう少し大きくなれば一日中3羽で生活できるようになるでしょう。

さてタンチョウの次は…楽しみは続きます。

2014年5月30日金曜日

閉園期間があるから、個性が生まれる (平成26年5月)

久しぶりに春が来た!と感じられる陽気です。
雪解けも一気に進んでいます。
野鳥のさえずりも盛んになり、
空を見上げると白鳥がV字編隊で飛んでいます。
今年は春の開園が4月26日と早いため閉園期間が短く、
皆てんやわんやで作業をしています。
皆エンジンがかかるのが早いのです。
確かに開園期間中には施設観覧閉鎖しなければできない、
手すりのペンキ塗り、舗装の補修、動物舎の改修、
プールの濾過装置のメンテナンス、手作り遊具の新設、
看板の撤去、新設…きりがありませんから。

思い返すと私が動物園に就職した頃は、冬期間、といっても
10月の下旬から翌年の4月下旬まで実に一年の半分が閉園期間でした。
お客さんから、みんな大変だね、半年間失業するんでしょ、
失業保険もらうの?出稼ぎなの?と真顔で言われたものです。
当時は、冬に開園するという発想もお金もありませんでした。
そもそも冬に開園しても屋外施設は
スキー、スケート場以外人は来ないが常識でした。
でも「日本最北の動物園」ってうたっていて、
冬に閉園している動物園これっておかしくないか?
そんな思いはありました。
人数限定の冬の動物観察会、歩くスキーで動物園を楽しむ会など
試行的に冬を楽しんでもらう企画を徐々に充実させて、
さらに長い道のりをかけて現在の冬期開園が定着しました。
スポーツ系以外の屋外施設で
冬期間これだけの集客をする施設が現れることは
予想だにしなかったことと言われています。

日本に90以上ある動物園の中で
10年も入園者数上位3位以内を維持している原点は何なのか?
珍しい動物もいないのに…
それは他園とは違う際だった個性なのではないでしょうか?

そしてこの個性は、旭山開園以来一貫して存在する雪解けの春と
冬囲いの晩秋のまとまった閉園期間から生まれたと言えます。
実際他園間から羨ましがられます。
週一の閉園日があっても、開園していると日常に追われ、流され、
立ち止まりまとまって考えたり具体化したりできない、
旭山のように手書きの情報をこんなにたくさん書いたり
毎年リニューアルしたりとてもできない、
何より動物にだけ向き合う時間を持てること、
向き合った結果を具体化できる時間を持てるのが
羨ましいと言われます。

実際この期間は春の開園日に照準を合わせて、
看板ははがされ、園路には砂や木材の山が築かれ、
とても開園できる状態ではないのです。

さて2014年新たな開園に向け頑張りますか。

2014年4月30日水曜日

エゾシカとの未来~14万頭の命を奪うと言うこと~ (平成26年4月 番外編)

僕は動物園に入った年から、
保護動物として運び込まれるエゾシカと関わり続けてきました。
誤認保護され持ち込まれたエゾシカの子を親代わりになり育て、
交通事故、列車事故で手当のしようのない状況で持ち込まれたエゾシカを
安楽殺したりしてきました。

そして保護されて命をつなげた個体を飼育し展示してきました。
飼育をとおして、エゾシカのすばらしさや気高さを感じ続けてきました。
エゾシカは間違いなく北海道を象徴する、すばらしい動物です。

そのエゾシカが害獣として扱われるようになり、
北海道の豊かさそのもの、自然のバランスそのものを
崩壊させてしまうかもしれない存在になってしまいました。
現在北海道では年間十数万頭のエゾシカを
駆除せざるを得なくなってしまいました。

その中で一次産業の被害額、交通事故の件数、駆除の実績、
駆除の方法、有効利用等々どこか無機質な印象を受ける報道が多く、
将来エゾシカとどう共に暮らしていくのかという
根本的な目指すものがない議論が多いように感じていました。

14万頭。
ただ生きようとしているエゾシカの側に立って見ると
いたたまれない一面を感じてしまいます。
エゾシカを飼育して見てもらっている以上、
他人事であってはいけないとの思いから
狩猟を始めようと決意しました。
共存の未来のための狩猟、駆除でありたい。
そのためにはとにかく現場に身を置くことからなのだろうと…

結果として、まだ昨年の一頭しか捕れていません。
が、彼らの暮らす場所に足を踏み入み、そこで暮らす命を奪うということは、
やはりためらいと撃たなければと言う使命感とが入り交じりました。

生き物を狙うことは、動物園で麻酔銃や吹き矢を使っていたので
変な自信があったのですが、その結果が明らかに違うことは明白です。
スコープに映るエゾシカは、明らかな恐怖ではなく、
本能からとにかくこの場を去らなければと言った
緊迫感のない穏やかな表情をしていました。

シカを捕らなければ生きていけないわけでもない、
実害を受けているわけでもない自分が今更ながらなぜ?と問い直していました。
狩猟者として向き合っているのか?駆除者として向き合っているのか?
その個体を見ると1分の1の命、全体で見ると14万分の1の命…
まだまだ初心者です。

生態系の保全のための管理、コントロールの考えから
年間で14万の命を奪わなければいけないことは、たぶん正解なのです。
放置しては自然そのものも我々の暮らしも基盤から崩壊してしまいます。
ただ個々の命の終わり方に正解はありません。
なんだか日本人だなと思ってしまいました。

ある一定数を駆除しても、また新たな命が誕生し続けます。
じわじわと数を減らしていくのではなく、自然の生態系が保たれ、
農林業の被害も我慢できるレベルまでできるだけ短期的に数を減らす。
その方が奪う命の数は圧倒的に少ないでしょう。
その後は現在のように産業廃棄物として処理せざるを得ない「駆除数」ではなく、
すべてを有効利用できるくらいの
「狩猟数」でコントロールできるのではないでしょうか?


2014年3月31日月曜日

動物も人間も同じなのかも (平成26年3月)

シジュウカラのさえずりも聞こえ始め春も近づいてきました。
2回目となった雪明かりの動物園も多くの市民に足を運んでいただき、
冬の寒さの生き物を包み込むような暖かさを
感じていただけたのではないかと感じています。

いや自分で言うのも何ですが冬の夜はとんでもなくいいです。
雪で音が吸収されてピント研ぎ澄まされた空気の中、
雪明かりの中で浮かび上がるように見える動物たちの姿は、
生きることの凄みのようなものを感じさせられました。

さて最近、モリトの弟妹まだかい?とよく聞かれます。
モリトも6歳、そろそろ弟妹が生まれていてもいい頃なのですが…。

オランウータンは、単独生活が基本です。
雄は発情期の間だけ雌と一緒にいて交尾をします。
発情期が終わるとまた別々に暮らします。
ですから旭山動物園でもリアン(母)とジャック(父)は別々に飼育しています。
雄は子育てに参加しないので、ヒトのような父親としてこどもを見ていません。

モリトが4歳になる頃リアンに排卵が始まった兆候が見られたので
ジャックとの同居を何回か試みました。
ジャックには基本リアンしか目に入りません。モリトは母親にしがみついています。
近づくジャックに怖さ半分好奇心半分でちょっかいを出したりしています。
リアンもモリトが気になってジャックが近づくと距離をとろうとします。
ジャックはモリトがリアンにとって
とても大事な存在なのはわかっているので無茶はしません。

根気強く同居を続けたのですが、ジャックはリアンとモリトが離れたときに
モリトを捕まえようとする行動を取り始めました。そう、リアンに近づくためです。
不慮の事故になりかねないので昨年来同居は中止していました。
リアンとモリトが距離を置いても(別々の部屋で過ごせる)
大丈夫になるまで待とうと考えました。

野生ならば生きるために大きくなったこどもに
かまい続けることはできないでしょう。
本能的にも次代に繋ぐために繁殖を強く望むでしょう。
こどもにもたくさんの刺激があり
親から離れるきっかけはたくさんあるはずです。
飼育下では生きることに不自由はありません。
大きくなった子が甘え続けても何の問題も起きません。

今年に入りここは心を鬼にしてと、
リアンとモリトを別々の部屋に入れて扉を閉めました。
モリトの叫び声と言ったらこちらの胸も張り裂けんばかりです。
お互いが見える窓の格子にしがみつき離れません。

次の朝、リアンは驚くほど冷静で、扉を開けるとさほど躊躇することなく
外の放飼場に出て行ってしまいました。
数日でお互いに存在が確認できれば安心なんだといわんばかりになっていました。

背中を押してあげないといけないときがある、
動物も人間も同じなのかもしれませんね。

2014年2月28日金曜日

ザブコ (平成26年2月)

どか雪に厳しい寒さ、冬こそ旭山とはいえさすがに厳しいです。
トイレの水洗化、非公開猛禽類繁殖ケージ、きりん舎かば館の外構工事
過酷ともいえる中での工事が続いています。

でも安定した過酷な寒さはいいこともあります。アイスキャンドル作りです。
昨年から始めた雪明かりの動物園のために制作しています。
閉園後の3時半、職員総出で一日数百個の風船に水を入れ吊します。
抱きかかえて運ぶのですが、破裂すると悲惨です。結構過酷な作業です。
寒さが安定していると「歩留まり」が高くなります。

2年目で要領がよくなってきたこともあるのですが、
きれいなキャンドルが続々と完成しています。
今年も東川町に協力をいただき、
一足先に開催された「ひがしかわ氷まつり」で使われた
キャンドルもたくさんいただきました。

ちょっとザブコに思うことを書かせてもらいます。
開園から旭山動物園に関わり続けている生き物はと考えると
ヒトは誰もいません。
退職などバトンタッチをして顔ぶれは変わっています。
ザブコとワニだけがずーっと旭山動物園で過ごしていたのです。
自分が就職した昭和61年からでも先輩飼育係は全員退職して
自分以外は皆入れ替わっています。
ザブコの目には旭山の46年はどのように映っているのかと
思いながら働いていました。

自分にとっては旭山での唯一の同僚みたいなところがあって、
偉大な先輩でもあり、ザブコに教えられて育てられた自分がいるように思います。
飼育、飼育環境、繁殖、誕生、成長、老い、死に備えること、そして死。
命を預かることの意味や責任を考えさせられ、
自分なりにこうあるべきなのではないのかと
考えられるように導いてくれたのがザブコなのかなと思っています。

きりん舎かば館は、百吉が来園して今までの50年これからの50年、
ザブコと百吉が時間をかけてバトンタッチをする施設になると考えていました。
百吉には深いプールを、ザブコには土の放飼場を、と決めていました。

動物園では動物たちが持っている能力、感性、感覚の
ほんの一部しか発現していません。
少しでも多くその動物らしさを発揮できるようにし、
そのことが生き生きとした姿に繋がり、多くの人の心を引きつけてきました。
ザブコに足の裏から伝わる土を感じさせてやりたい、
46年間コンクリートしか感じたことのない
ザブコに、土の感触がザブコも知らなかったよりカバらしい
感性や感覚が覚醒すると思っていました。

僕の中ではザブコに対しての最大のプレゼントであり「ありがとう」だと考えていました。
ザブコの死、百吉の成長…
旭山動物園はこれからも命を繋ぐ場であり続けたいと思います。

2014年1月31日金曜日

河馬 (平成26年1月)

関係者の皆さんのご協力やスタッフの頑張りにより、
「きりん舎・かば館」を無事にオープンすることができました。

中でもかば館は、どうしたらカバのありのままの生態を
見てもらえるか、お客さんに楽しんでもらえるかを考えた結果、
自分たちでも見たことがない秘められていたカバのすばらしい、
だけど、どこかユーモラスな行動や仕草をたくさん引き出すことができました。

百吉はまるでマナティかジュゴンのようです。

今では息を止めて7分位水中ですごし、水面に鼻と目と耳だけを出し
息継ぎだけしてまた潜っていきます。

水面から水底から、そして、水中から百吉を観ようとすると
3回息継ぎ分になるので、あっという間に30分くらいが
経過します。

カバは陸上の草を食べますが、一日の大半を水中で
過ごしています。水中で交尾し水中で出産します。
ただ休むため寝るために水中にいる訳ではないのです。

これから百吉がどのように成長していくかがとても楽しみです。
そして、早く伴侶を探してあげなければと考えています。

最新の研究でカバとクジラ類は遺伝的にとても近い
仲間だとの見解が示されていました。

そんなわけないだろ 何でもDNAじゃないだろと思ってましたが、
水面に浮上する百吉の姿はクジラを連想してしまいます。
「クジラの親戚」という表現が妙に説得力を持つのです。

今年は馬年です。カバは漢字で河の馬です。
百吉のウマのような仕草を見つけてみようかなと
ふと思ったりしています。