どか雪に厳しい寒さ、冬こそ旭山とはいえさすがに厳しいです。 トイレの水洗化、非公開猛禽類繁殖ケージ、きりん舎かば館の外構工事 過酷ともいえる中での工事が続いています。 でも安定した過酷な寒さはいいこともあります。アイスキャンドル作りです。 昨年から始めた雪明かりの動物園のために制作しています。 閉園後の3時半、職員総出で一日数百個の風船に水を入れ吊します。 抱きかかえて運ぶのですが、破裂すると悲惨です。結構過酷な作業です。 寒さが安定していると「歩留まり」が高くなります。 2年目で要領がよくなってきたこともあるのですが、 きれいなキャンドルが続々と完成しています。 今年も東川町に協力をいただき、 一足先に開催された「ひがしかわ氷まつり」で使われた キャンドルもたくさんいただきました。 ちょっとザブコに思うことを書かせてもらいます。 開園から旭山動物園に関わり続けている生き物はと考えると ヒトは誰もいません。 退職などバトンタッチをして顔ぶれは変わっています。 ザブコとワニだけがずーっと旭山動物園で過ごしていたのです。 自分が就職した昭和61年からでも先輩飼育係は全員退職して 自分以外は皆入れ替わっています。 ザブコの目には旭山の46年はどのように映っているのかと 思いながら働いていました。 自分にとっては旭山での唯一の同僚みたいなところがあって、 偉大な先輩でもあり、ザブコに教えられて育てられた自分がいるように思います。 飼育、飼育環境、繁殖、誕生、成長、老い、死に備えること、そして死。 命を預かることの意味や責任を考えさせられ、 自分なりにこうあるべきなのではないのかと 考えられるように導いてくれたのがザブコなのかなと思っています。 きりん舎かば館は、百吉が来園して今までの50年これからの50年、 ザブコと百吉が時間をかけてバトンタッチをする施設になると考えていました。 百吉には深いプールを、ザブコには土の放飼場を、と決めていました。 動物園では動物たちが持っている能力、感性、感覚の ほんの一部しか発現していません。 少しでも多くその動物らしさを発揮できるようにし、 そのことが生き生きとした姿に繋がり、多くの人の心を引きつけてきました。 ザブコに足の裏から伝わる土を感じさせてやりたい、 46年間コンクリートしか感じたことのない ザブコに、土の感触がザブコも知らなかったよりカバらしい 感性や感覚が覚醒すると思っていました。 僕の中ではザブコに対しての最大のプレゼントであり「ありがとう」だと考えていました。 ザブコの死、百吉の成長… 旭山動物園はこれからも命を繋ぐ場であり続けたいと思います。 | |||
この日記は旭川市の「市民広報」に「動物園からの手紙」として毎月掲載されているものの、ほぼ原文です。なにぶん、原文なので不適当表現や言いまわしがあると思いますが、お許しを・・・。番外編も要注目です。ゲンちゃん画伯が書いた絵も楽しみながら、読んでみて下さい。