今年は雪と寒さとの闘いの日々が続きますね。
高速道路もJRも当たり前に動いている日の方が珍しいくらいです。
このままでは札幌圏と旭川圏は
雪の壁で分断されてしまうのではないかと心配になりますね。
動物園でも団体バスが閉園ギリギリに入園してきて、
せめてペンギンの散歩だけでも見たい!
と言うことが間々あります。
まぁ旭川も札幌圏に頼らずに
頑張りなさいと言う暗示なのかも知れません…。
積雪が一メートルを超える期間が長く続くと
エゾシカの子は命を落とすと言われていますが、
山の中で必死に生きているエゾシカのことを
ふと想像する時があります。
複雑な思いになりますね。
昨年の暮れ27日にカバのゴンが急死しました。
旭山動物園オープンの昭和42年7月から
ずっと旭山動物園を見続けていました。
変な話ですが人間で開園からずっと
旭山に関わり続けている人はいません。
ゴンの目にはどのような景色が見えていたのでしょう?
残されたザブコとの間に7頭の子が成育しました。
自分が旭山に来てからは2頭の子を他園に送り出しました。
カバは繁殖力が強くオスとメスを同居させておくと
次から次に子供ができてしまうため
通常は別居飼育をし、
もらい手などの目途をつけて計画的に繁殖させるのが一般的です。
旭山の施設は成獣1頭を収容するのがやっとの寝室が
2つしかないので、跡継ぎを残すこともできませんでした。
新しい施設では3頭までは飼育できるようにしなければと
設計を進めています。
僕が就職した時に当時2才の子供のカバがザブコと同居していました。
とてもやんちゃで冬でもラッセル車のように
鼻から白い息を吹き上げながら雪中を転げ回っていました。
でもなぜかその子カバには名前がありませんでした。
そう望まれた子ではなかったのです。
繁殖制限をしていたはずなのにできちゃったのでした。
すぐにでももらい手を探してと決まっていたから
名前は付けずにいたらしいのですが、
結局7才まで母親と同居でした。
大きくなると母親の負担が大きくザブコはやつれてしまいました。
当時は水中でしか交尾は成立しないが常識で、
プールに水のない冬,寝室の扉の修理のために
一日だけ同居させました。
なんとたった一日、厳冬の雪の中愛は実を結んでしまったのでした。
日本で飼育しているカバの中で
確実に3本指に入る大きさと言われたゴン、
愛は常識をも覆すことを証明したゴン、
晩年はザブコにウザがられ同居できなかったゴン、
でも一日に数回はとなりの寝室のザブコと
ブブブブと挨拶は欠かさなかったゴン、
27日の夜ブブブブと鳴き続けていたザブコ。
たくさんの子供たち今は大人になったたくさんの人の心の中で
ゴンは今も生き続けているはずです。
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ゴントサブコ(ゲン画伯) |
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