エゾシカの治夫が死亡しました。 1994年の春に赤ちゃんで保護された個体でした。 当時は山菜採りで森に入った人が子ジカが一頭でうずくまっていたから かわいそうに思い誤認保護するケースが年に数件ありました。 エゾシカは森の中でひっそりと暮らしているんだなと 珍しかったことを思い出します。 保護されたエゾシカは隔離室でお皿に入れたミルクを飲むように餌付け、 数日したらうらの草地や園内に散歩に連れ出し さらに数日したら昔のエゾシカ舎に連れて行き 仲間入りの訓練をしました。 エゾシカは特にメスはよそ者を受け入れたがりません。 日中保護個体を同居させておくのですが、 追い払われて居場所をなくし柵の隙間から逃げ出し、 夜過ごす隔離室の前にいるということが続きます。 気長に繰り返すことで保護個体もエゾシカといる方が落ち着くようになり、 メスたちも受け入れるようになります。治夫もそんな保護個体でした。 治夫は成長し、たくさんの子を残し、新しいエゾシカ舎では堂々とした風貌で たくさんの来園者を魅了しました。 数年前から角の枝分かれが正常ではなくなり、一昨年の秋の繁殖期には、 立派に成長した息子に遠慮するようになり 今シーズンは体力の衰えが顕著になっていました。 死因は老衰で見事に生を全うしたと思います。 治夫が生まれてから19年でエゾシカ史は大きく変わりました。 理由はどうであれ、町中に現れたエゾシカは保護し山に放し、 山の中では年間10万頭以上のエゾシカが無差別に駆除されています。 エゾシカほど北海道の四季折々の豊かさと厳しさを実感させてくれる動物は いないのではないかとつくずく感じます。 体毛の色、角、鳴き声、群れすべてです。 エゾシカ舎のあべ弘士さんの絵が見事にそのことを現しています。 素晴らしいエゾシカとどのように共に暮らしていくのかが 見えなくなってしまいました。 治夫が保護された頃は、 エゾシカってこんなにつぶらな瞳なの、可愛らしいだけでもよくて、 まさか実はエゾシカが増えすぎてこのままでは農作物の被害だけでなく 自然そのものまで破壊してしまう存在です なんて話をしなければいけなくなるなんて考えてもいませんでした。 ふと治夫のことを書いてみたくなりました。 | |||
この日記は旭川市の「市民広報」に「動物園からの手紙」として毎月掲載されているものの、ほぼ原文です。なにぶん、原文なので不適当表現や言いまわしがあると思いますが、お許しを・・・。番外編も要注目です。ゲンちゃん画伯が書いた絵も楽しみながら、読んでみて下さい。