2010年1月31日日曜日

今年もよろしくお願いします!(平成22年1月)

年も変わり心機一転ですね。
今年はいい年にしようと決意しています。
今シーズンは近年になくちゃんと冬も訪れました(今のところは…)。
都会で暮らすと暖冬で雪が少なく雪解けも早いと、
何かと楽なのでうれしかったりするのですが、
しっかりとした寒さと雪があって
生活が成り立つ生き物がたくさんいます。

旭山動物園のペンギンの散歩が始まるのを
たくさんの人がまっていてくれます。
冬の魅力をもっともっと発信して、早く雪が降らないかな!
雪が降ることが待ち遠しくなる、そんな動物園になりたいと思います。

雪より白いと思っていたのに雪の方が白かったホッキョクギツネ、
でも雪の中で尻尾をマフラーにして大福のように丸くなり、
時折目を開けてこちらを見るしぐさが何とも愛らしく見えます。
こいつらマイナス60度になっても平気なのかと思うと
やっぱり凄いヤツだなと改めて見直してしまいます。

ホッキョクギツネ舎はポーラビューと名付けたビューポイントがあります。
手前にホッキョクギツネ、背景にホッキョクグマ、
それぞれが「ある場所」にいてくれないと成り立たないのですが、
ぜひ見に来てください。
もし幸運なことにポーラビューを写真に納めることができたなら、
旭山動物園フォトコンテストに応募してください。
優勝間違いなし!少なくとも僕は推薦してしまうでしょう。

シンリンオオカミのケンとマースはここに来てとてもラブラブです。
秋まではどこかよそよそしかったケンがマースを認め始めたようです。
じゃれたりアイコンタクトをとったり、
精神的な距離がずいぶん縮まってきました。
ケンがマースを伴侶として認めたかは予断を許しませんが、
明るい兆候です。
オオカミの発情期は厳冬の1月から2月にかけての年1回です。
楽しみです。
体が一回り大きくなったように見える冬毛に身を包んだオオカミの姿は
いつ見ても惚れ惚れとします。

寒さが順調に訪れたら、あざらし館にも流氷が出現します。
流氷があって種を繋ぐゴマフアザラシ。
オホーツク海にもしっかりと流氷が訪れて欲しいものです。

今年は寅年。
一頭になってしまったアムールトラの「のん」。
いっちゃんとの間に子をもうけることはできませんでしたが、
雪の中を転げ回っています。
虎の子をいつの日か旭山で!そんな思いがこみ上げてきます。

やれインフルエンザだ!不況だ!負けてなんかいられません。
未来は自分の力で切り開くまでです。
アムールトラの「のん」(ゲンちゃん画伯)

2009年12月31日木曜日

恩返しプロジェクト (平成21年12月)

今年最後の手紙ですね。
明るい話題でと考えていたのですが,訃報です。
ミナミシロサイのノシオが11月17日朝10時頃死亡してしまいました。
今年度は4月にオランウータンのモモが事故死,
6月にはアムールトラのいっちゃんのガンによる安楽殺など
まだ死ななくてもいい年齢の動物の死が続きました。
何とも晴れ晴れとしない年だった気がします。

昨年度来からの来園者数の減少傾向,

ベテラン飼育係が次々と退職を向かえ,
過去の本当に苦しかった時代を知らない世代に,

急激にバトンタッチしました。
動物慰霊碑の移動,僕はあまりげんを担いだりしないのですが,
開園42年目という年は何か節目のような,

抗しがたいものを感じさせられる年でした。
 開園以来多分,数千の,いやもしかしたら万の命が

この旭山で終わりをむかえています。
このたくさんの命は私たちが楽しむ,学ぶためだけ,の命として
終わらせてはいけないのだと思うようになりました。

動物園は所詮ヒトのエゴ,習性の産物です。
でも人類が地球上の生き物の運命を握ってしまった現状で,
私たちが他の生き物と共存する道を選択するために,
共に生きる生き物たちの生き方を知り

大切に思う心を育むために動物園は必要です。

でも,動物園で死を迎えた動物たちに動物園としてどう報いるのか?
飼育されている動物たちには野生での故郷があります。
仲間が暮らしています。
やはり動物たちの故郷に何か具体的に報いること,

恩返しをすることなのだと思います。

そういう意味で,今年は大きな一歩を踏み出すことができました。
旭山動物園「恩返しプロジェクト」第一弾として

ボルネオへの恩返しプロジェクトです。
日常の生活で欠かすことのできない必需品となった植物油脂パーム油,
その恩恵を受け続けることで

モモの故郷ボルネオの熱帯雨林が驚く程のスピードで消え続け,
アブラヤシの畑に変貌し続けています。
また建築資材としてボルネオの熱帯雨林の木を使ったコンパネなどの木材も
日本にとってなくてはならない必需品です。

私たちの日常の暮らしが,オランウータンやボルネオゾウの首を
真綿でじわじわと締め続けているのです。
窓の外に見える身近な山よりも,生活との関わりという点では
ボルネオはもっと身近な場所でもあるのです。

プロジェクトは旭山動物園が中心となり
現地に野生生物レスキューセンターを

設計し建築しようという途方もない計画です。
でも始めなければ可能性もありません。

旭山動物園は,動物園が進むべき方向を示す羅針盤の役割を目指します。
常に一歩先に…来年につなげていきたいと思います。
皆さんにとって来年がいい年でありますように。
ミナミシロサイの「ノシオ」(ゲンちゃん画伯)

2009年11月30日月曜日

命の受け継ぎ (平成21年11月)

更新が遅くなり大変申し訳ありません。

平成21年度の夏期開園も無事に終わりました。
来園者数は昨年度に引き続き減少が続きました。
いろいろと言われますが,僕自身の原因の分析としては,
あまりにも容量オーバーの来園者数が持続したことが大きいと考えています。

飼育動物に対して取り組んできたことと同じように,
今こそ来園者に対しても
しっかりとした取り組みをしなければいけないと痛切に感じています。
混雑しているイメージが変なかたちで定着してしまいました。
減ったとはいえ今年も容量オーバーです。
裏返すとこれだけの来園者を向かえ入れる体制が整っていないと言うことです。
皆さんにとって旭山動物園はどんな場所でしょうか?
いつの間にか「お客さんが来たら連れて行く場所」になってはいないでしょうか?

先日うれしいニュースが届きました。
神戸に嫁いだカバのナミコが4月17日に母親になったのです。
ナミコは旭山動物園開園以来飼育している
ゴンとザブコの娘(1992年生まれ)です。
ザブコは1963年生まれで1967年に旭山にやってきました。
以来ゴンとの間に11頭の子が生まれ7頭が無事に成長し
新たな飼育地に旅立っていきました。
カバは繁殖力が強く産児制限をしないといけない種の代表なのですが,
計画的に繁殖に取り組みたくさんの子を残すことができました。
ナミコは母親のザブコの足腰に衰えが見え始めた1992年,
旭山のあととりと考えて計画繁殖させた子でした。

話が前後しますが,ナミコの前に生まれた「メスの子」は
「あらできちゃった!」子でした。
厳冬期に寝室の修理が必要となり,
一日だけ放飼場でゴンとザブコを同居しました。
プールには水もなく,放飼場は雪が積もった状態でした。
カバは水中で交尾をする,それまでの常識が破られた記念日です。
まさか愛を交わしているとはつゆ知らずにいたのですが,
翌年(1984年)秋,ザブコの寝室のプールに大きな物体が浮いていました。
それが「メスの子」でした。
これは大変とあわててもらい先を探したのですがなかなか見つからず,
7才になりやっとペアーを組む相手が見つかり旅立ちました。
「メスの子」なのはチャンスがあればいつでも旅立つ子だったので,
愛称を募集しなかったからでした。

さてナミコですが,寝室がゴンとザブコ用の2カ所しかないために,
ナミコが大きくなってもザブコと同居させていました。
いつまでも甘えん坊で8才になっても母親のオッパイをねだり,
母親よりも早く移動し餌を独り占めにするようになりました。
ザブコはまずます足腰が弱ってきて,
ナミコの同居が重い負担になるようになってしまいました。
2003年,あととりを断念し神戸市王子動物園にお嫁に出すことにしました。

命がしっかりと受け継がれました。
飼育下での継代はたくさんの園館との共同作業で始めて実現できます。
ナミコの子の成長を遠くから見守っていきたいと思います。
いつか里帰りなんてこともあるかも知れません。
それとザブコにも早く新居をつくってやりたい…と思うこの頃です。
カバの親子(ゲンちゃん画伯)