2013年5月31日金曜日

残雪の4月 (平成25年5月)

4月も下旬を迎えようとしているのに雪解けが進みません。
冬季開園が終わり、4月27日の夏期開園に向け
全員出勤で頑張っていますが、堆肥出しをするにも、
新たな土を入れるにも、遊具の補修、製作設置をするにも、
折れた人止め柵の補修をするにも
とにかく雪をなくさなければ始まりません。

一昔前の残雪から見れば少ないような気がしますが、
近年の雪解けの早さから見たら、うんざりする雪との格闘です。
ほっておいてもなくなるものとの闘いはどこかむなしい思いがあるのですが…
各獣舎とも担当者の新たな工夫が具体化しますので
是非足を運んでいただければと思います。

さて先日一泊四日(機中泊2日)の予定でボルネオに行ってきました。
強行日程でしたが、恩返しプロジェクトの本格的な成果になる
ルネオゾウの救助施設の第一期工事が完了し完成検査に行ってきました。
多くの企業の方々の協力を経ていよいよここまで来ました。

完成後はサバ州の野生生物局に引き渡し運用が始まります。
この施設は運用を通して改善点を探り
第2期工事に反映するための施設としての役割も持ちます。
マイナス気温からいきなり炎天下の30度を超える現場で
5時間過ごし帰路につきました。

ところがなんと機材の故障で予定の乗り継ぎで帰れなくなってしまいました。
帰国の次の日は北海道ブロックの園館長会議、
自分はブロックの代表理事、
穴を空けたら大変なことになります。
同じ便でクアラルンプールに帰る方の携帯で連絡をとってもらい
どうにか間に合う便を見つけ事なきを得ました。

自分はもう数年前から使っているガラケーでしかも日本でしか使えません。
やはりここはスマホかなと…
でもボルネオまで行って日常の仕事に追われるのもヤダな、複雑でした。
ともあれ園館長会議当日の朝に旭川に戻り無事会議も行うことができました。

夏期開園から北海道産動物舎も全面オープンを迎えます。
スタッフ皆が忙しくて嬉しい悲鳴が聞こえてくる
夏期開園にしていきたいと思います。

2013年4月30日火曜日

新年度へ向けて (平成25年4月)

暖かくなったり、雪が降ったり、
でも確実に雪解けは進み春の気配です。
総合動物舎の建て替えの仮称大型草食獣館の建設工事も、
不安定な天候の中確実に進んでいます。
それにしてもそろそろ仮称ではなく
正式な名称を考えなければいけませんね。
考えてみれば、昔からあるから不思議に思いませんが、
総合動物舎も何か分からない名前ですよね。

ちなみに総合動物舎はキリン、カバ、
ペリカン、ダチョウなどを飼育している施設で、
昭和42年の旭山動物園の開園の時からある建物です。
当時から旭山の中心となる施設でした。
現在は開園当初の建物は総合動物舎だけになりましたが、
昔の建物には小獣舎、小動物舎と言う名称の施設もありました。
今思えばこれも分かるようで分からない名前でしたね。

仮称大型草食獣館は、
現在総合動物舎で飼育している動物たちの引っ越しで、
結果としてほとんどがアフリカに生息する動物たちです。
アフリカ館、サバンナ館など候補はあるのですが、
今まで整備してきた施設に地域を現す名称がない…
地域ごとのエリア分けをして展示していない、
など考えだしたら分からなくなります。

現在の総合動物舎の近況ですが、キリンのまりも、
お腹が大きくなってきました。
今回は目立ちます。
予定日は幅があるのですが、初春の頃かなと考えて
安心して出産に集中できる環境を整えています。
順調にいって親子3頭での引っ越しになればいいなと思います。

カバのザブコですが、ご存じのようにザブコは旭山動物園開園当初から
ずっとあの場所で暮らしてきました。
足腰の衰弱が進み、寒い間は3日に1日外に出る生活パターンです。
餌も足を投げ出して寝ながら食べているのですが、寝室内のプールに入ると
浮力のおかげで足の負担が軽くなりまだまだ元気です。
引っ越しできるかなって慎重に様子を観察していきたいと思います。

ペリカンは今ととりの村の建物の中で越冬しています
(夏期開園から外に展示しています)
ダチョウとエミュウは元気に雪の中で過ごしています。

新居は秋に完成しますが、一番の大事は引っ越しです。
キリン、カバの引っ越しは一大イベントになります。
歩いて引っ越しにはならないので、大きな檻に入れて、クレーンでつり上げて、
新居に降ろして…今までに経験のない大がかりな作業になります。
今からそのシュミレーションをしています。

新年度も新たな取り組みが続きます。
振り返った時充実した年だったと思えるように頑張りたいと思います。

2013年3月31日日曜日

エゾシカの治夫 (平成25年3月)

エゾシカの治夫が死亡しました。
1994年の春に赤ちゃんで保護された個体でした。
当時は山菜採りで森に入った人が子ジカが一頭でうずくまっていたから
かわいそうに思い誤認保護するケースが年に数件ありました。
エゾシカは森の中でひっそりと暮らしているんだなと
珍しかったことを思い出します。

保護されたエゾシカは隔離室でお皿に入れたミルクを飲むように餌付け、
数日したらうらの草地や園内に散歩に連れ出し
さらに数日したら昔のエゾシカ舎に連れて行き
仲間入りの訓練をしました。

エゾシカは特にメスはよそ者を受け入れたがりません。
日中保護個体を同居させておくのですが、
追い払われて居場所をなくし柵の隙間から逃げ出し、
夜過ごす隔離室の前にいるということが続きます。
気長に繰り返すことで保護個体もエゾシカといる方が落ち着くようになり、
メスたちも受け入れるようになります。治夫もそんな保護個体でした。

治夫は成長し、たくさんの子を残し、新しいエゾシカ舎では堂々とした風貌で
たくさんの来園者を魅了しました。
数年前から角の枝分かれが正常ではなくなり、一昨年の秋の繁殖期には、
立派に成長した息子に遠慮するようになり
今シーズンは体力の衰えが顕著になっていました。
死因は老衰で見事に生を全うしたと思います。

治夫が生まれてから19年でエゾシカ史は大きく変わりました。
理由はどうであれ、町中に現れたエゾシカは保護し山に放し、
山の中では年間10万頭以上のエゾシカが無差別に駆除されています。

エゾシカほど北海道の四季折々の豊かさと厳しさを実感させてくれる動物は
いないのではないかとつくずく感じます。
体毛の色、角、鳴き声、群れすべてです。
エゾシカ舎のあべ弘士さんの絵が見事にそのことを現しています。
素晴らしいエゾシカとどのように共に暮らしていくのかが
見えなくなってしまいました。

治夫が保護された頃は、
エゾシカってこんなにつぶらな瞳なの、可愛らしいだけでもよくて、
まさか実はエゾシカが増えすぎてこのままでは農作物の被害だけでなく
自然そのものまで破壊してしまう存在です
なんて話をしなければいけなくなるなんて考えてもいませんでした。

ふと治夫のことを書いてみたくなりました。