2012年2月29日水曜日

ゴンありがとう (平成24年2月)

今年は雪と寒さとの闘いの日々が続きますね。
高速道路もJRも当たり前に動いている日の方が珍しいくらいです。
このままでは札幌圏と旭川圏は
雪の壁で分断されてしまうのではないかと心配になりますね。
動物園でも団体バスが閉園ギリギリに入園してきて、
せめてペンギンの散歩だけでも見たい!
と言うことが間々あります。
まぁ旭川も札幌圏に頼らずに
頑張りなさいと言う暗示なのかも知れません…。

積雪が一メートルを超える期間が長く続くと
エゾシカの子は命を落とすと言われていますが、
山の中で必死に生きているエゾシカのことを
ふと想像する時があります。
複雑な思いになりますね。

昨年の暮れ27日にカバのゴンが急死しました。
旭山動物園オープンの昭和42年7月から
ずっと旭山動物園を見続けていました。
変な話ですが人間で開園からずっと
旭山に関わり続けている人はいません。
ゴンの目にはどのような景色が見えていたのでしょう?
残されたザブコとの間に7頭の子が成育しました。
自分が旭山に来てからは2頭の子を他園に送り出しました。

カバは繁殖力が強くオスとメスを同居させておくと
次から次に子供ができてしまうため
通常は別居飼育をし、
もらい手などの目途をつけて計画的に繁殖させるのが一般的です。
旭山の施設は成獣1頭を収容するのがやっとの寝室が
2つしかないので、跡継ぎを残すこともできませんでした。

新しい施設では3頭までは飼育できるようにしなければと
設計を進めています。
僕が就職した時に当時2才の子供のカバがザブコと同居していました。
とてもやんちゃで冬でもラッセル車のように
鼻から白い息を吹き上げながら雪中を転げ回っていました。

でもなぜかその子カバには名前がありませんでした。
そう望まれた子ではなかったのです。
繁殖制限をしていたはずなのにできちゃったのでした。
すぐにでももらい手を探してと決まっていたから
名前は付けずにいたらしいのですが、
結局7才まで母親と同居でした。
大きくなると母親の負担が大きくザブコはやつれてしまいました。
当時は水中でしか交尾は成立しないが常識で、
プールに水のない冬,寝室の扉の修理のために
一日だけ同居させました。
なんとたった一日、厳冬の雪の中愛は実を結んでしまったのでした。

日本で飼育しているカバの中で
確実に3本指に入る大きさと言われたゴン、
愛は常識をも覆すことを証明したゴン、
晩年はザブコにウザがられ同居できなかったゴン、
でも一日に数回はとなりの寝室のザブコと
ブブブブと挨拶は欠かさなかったゴン、
27日の夜ブブブブと鳴き続けていたザブコ。
たくさんの子供たち今は大人になったたくさんの人の心の中で
ゴンは今も生き続けているはずです。
ゴントサブコ(ゲン画伯)

2012年1月31日火曜日

今年の思い (平成24年1月)

新しい年を迎えました。
今シーズンは久しぶりに雪と寒さが早くやってきました。
雪かきでうんざりな人も多いでしょうが、
北海道らしい冬が久しぶりに戻ってきた気もします。
この手紙が届く頃、
産室の中のホッキョクグマは新しい命を育んでいるでしょうか?
老朽化した開園からある総合動物舎の
建て替えの予算の目途はついているでしょうか?
前回の手紙に添付した無料招待券は
たくさん利用されているでしょうか?…

今年は、たくさんの方から支援をいただいている
ボルネオへの恩返しプロジェクトを
現地で具体化すべく、作業を急ピッチで進めています。
危機的な状況にあるボルネオゾウの救護施設の第一弾を
ボルネオ島のサバ州にある保護区(LOT8)に建築する予定です。

外国で施設を建築することは、
想像以上にさまざまな困難が伴います。
設計図面を渡して、見積書を取って、
といった日本のやり方はまったく通用しません。
日本で始めて、世界で始めての施設を具体化してきた旭山ですが、
さらにハードルは高いと感じています。
一つ一つ障壁を乗り越えて計画を練っています。

第一弾は予算の制約もありますが、
とにかく具体化すること、を目標に
がむしゃらにいくしかありません。
昨年に送ったボルネオゾウ救助用の移動檻は、
大活躍をしていて、現在アブラヤシの畑に現れたボルネオゾウを捕獲し
ジャングルに返すために輸送できる檻はこの檻一つだけです。

人と野生動物の共存のためにできること、
一刻も早く具体化し続けなければいけません。
アブラヤシから採れるパーム油の需要は年々高まる一方です。
地球規模での人口の増加は、
必然的に植物油脂の必要量の増加につながり、
その増加分を満たす主役はパーム油だと言われています。
つまりジャングルを切り開きアブラヤシの畑の拡大が続くわけです。
野生動物たちの豊かさが人のためだけの豊かさに化け続けるのです。

現実は厳しいのですが、熱帯雨林は地球の命の根元です。
新たな種の誕生、意識することすらない空気中の酸素…
その根元のあらゆる命を絶ってしまうことは
地球そのものが息絶えることを意味するように思えます。 

まずは、自分たちが奪い続けていることで
日常の豊かさや便利さが成り立っていることに気づくこと、
救護センターはそんな願いを込めて建設します。
今年中に具体化すること!これが今年の自分に課した第一優先の夢です。
ゾウとヒト(ゲン画伯)

2011年12月31日土曜日

原点に立ち返る (平成23年12月)

早いものですね。
動物園も初冠雪を迎えました。
冬は冬らしくあって欲しいですね。

年末を迎え、来年に向けての施設の設計が大詰めを迎えています。
現在のキリンやカバがいる総合動物舎を建て替える大型草食獣館、
職員手作りの檻が並ぶ北海道産動物コーナー、
やはり老朽化が激しいため立て替えを計画しています。

現在の総合動物舎は昭和42年のオープンからある最後の獣舎です。
寝室は飼育頭数分つまりキリン、カバ共に2部屋づつしかありません。
繁殖をしても子を長く飼育することはできないために、
他の動物園に出すしかありませんでした。
次の世代を継ぐ子を飼育できなかったのです。

新しくするのであれば最低3部屋は必要です。
なんせそれだけでも建物が大きくなります。
つまり予算とのにらめっこです。
この財政難の中でのギリギリを目指し
それでも過去最高額の予算が必要になる焦り、
さらに旧遊園地跡地での建築を予定しているので、
冬期間はペンギンの散歩を待つ来園者のための
暖を取れる休憩所も必要だと考えていました。

いつの間にか、さまざまな要素のすべてを
どう納めるかを考えるようになっていました。
何かしっくりこない、もやもやとした思いが募っていました。
旭山らしさって何だ?原点に立ち返って図面とにらめっこしました。
思いっきりの良さ、常識をベースにしない、だったとふと我に返りました。
たくさんの方にご迷惑をかけながら設計は進んでいます。
振り返ることなく前を向いて進み新たな年を迎えたいと思います。

 
観光客がたくさん訪れるようになり、
地元の方の足が遠ざかり数年が経ちます。
地元の方もお客さんが来たから連れて行く場所になり、
昔のように自分たちのために行く機会が
少なくなったのではないでしょうか?

冬期閉園をしていた頃、市民からおたくら冬は失業保険もらってるのかい?
と心配されました。
今では冬こそ旭山になりました。

旭川に根を下ろした動物園でありたい。ずっとそう思っています。
仲間を誘って、ぜひ自分たちのために動物園に足を運んでいただけたらと
今回の企画を実現しました。

日ごろの感謝を込めて、旭山動物園からのささやかなお年玉です。
カバの潜り(ゲン画伯)